連載:愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方

脇坂泰斗とフロンターレの物語 「クラブ愛に年月や時間は関係ない」

原田大輔
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脇坂泰斗「クラブ愛は、決して時間の長さだけで育まれていくものではないと思っています」 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 外から中、中から外へ——そして再び川崎フロンターレのエンブレムを背負って戦っているから、見える景色とクラブへの強い思いがある。

 脇坂泰斗は言う。

「クラブ愛は、決して時間の長さだけで育まれていくものではないと思っています」
 神奈川県横浜市で活動するエスペランサSCのジュニアユースでプレーしていた脇坂は、ユース年代でも高体連ではなく、クラブユースでサッカーを続けたいと考えていた。そのため、神奈川県内にあるJリーグクラブのセレクションを受けることにした。その一発目が、川崎フロンターレだった。

 中学3年生の夏だった。

 募集要項を見ると、「若干名」との記載がある。セレクション会場で説明を受けたときには、数人が合格する可能性もあるが、適任者がいない場合は、誰一人として獲らないこともあると告げられた。

 グラウンドを見渡すと、自分も含めたセレクションの参加者は70人近くいた。

「これはかなり狭き門だぞ。相当、難しそうだな」

 数日にわたって行われたセレクションは2日目を迎えると、早くも20人程度に絞られていた。最終日となる3日目に進めたのは10人くらいだった。そのなかで脇坂は1日目、2 日目を通過すると、3日目も会場に呼ばれた。最後はU-18に所属する高校1年生と試合をするという。その試合でゴールを決めた脇坂は、U-18の練習への参加を打診された。声をかけられたのは自分も含め、わずか3人になっていた。

 3日ほどの練習参加を終えると、スタッフから説明があった。

「合格の場合は、今週末に電話にて連絡します。もし、土日のどちらかで連絡がなかった場合は、ご縁がなかったと思ってください」

 脇坂はどぎまぎしながら週末を迎えたが、土曜日の夕方に家の電話が鳴った。電話を取ったのは母親だったが、気になって見にいくと、すぐに受話器を渡された。

 電話の主は、U-18のコーチをしていた久野智昭だった。

「脇坂くんは合格になります。可能ならば、都合のつくときは早速、U-18の練習に参加してもらえるとうれしいです。あと、ちなみに今回のセレクションで合格したのは、脇坂くんだけでした」

 全身に鳥肌が立つと同時に、最後のひと言を聞き、身の引き締まるような思いがした。その喜びと感動は、今も鮮明に思い出すことができる。
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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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