井上尚弥、拳四朗に“準決勝敗退”の川浦、橋詰が約13年越しで日本一争う 2.14 日本スーパーフライ級王座決定戦

船橋真二郎

しのぎを削り合った“1993年世代”

 高校1年から全国大会に出場し、階級も近かった2人だが、アマチュア時代は直接対決の機会はなかった。最初のインターハイ準決勝以来、最接近するのは1年後、高校2年のインターハイだった。順当に勝ち上がれば準決勝で当たる組み合わせになった。

 迎えた準々決勝は、いずれも現在はプロで活躍する同級生対決になる。橋詰は神戸第一高校の谷口将隆(ワタナベ、前WBO世界ミニマム級王者)に勝利したものの、川浦は奈良朱雀高校の中嶋一輝(大橋、元東洋太平洋バンタム級王者)に敗れた(橋詰は準決勝で中嶋に敗れ、2度目の3位)。

 次の機会は関東大学リーグ戦。川浦の中央大学、橋詰の東洋大学は、入学時は同じ2部に在籍しており、対戦の可能性があったが、学校対抗の団体戦形式で戦うリーグ戦に、それぞれライトフライ級、フライ級で出場。橋詰は1年で大学を辞め、プロに転じた。

「僕らの時代は強い選手がいっぱいいた」。関西は激戦区。橋詰は高校の近畿大会で2学年上の寺地とも対戦しており、谷口、中嶋とは何度も戦ったという。中学生の頃からスパーリング大会で拳を交えたことがあった、やはり同い年で当時は大阪帝拳ジムで練習していた京口とも、大阪の予選でぶつかったことがある。実に濃密な経験をしている。

三迫ジムで同門になった同い年の2人。川浦(左)と元日本フェザー級王者の佐川遼 【船橋真二郎】

 川浦も大学1年の国体準決勝で谷口と対戦している。が、ここでも決勝進出を逃し、3度目の3位に終わる。同年の全日本選手権準々決勝では寺地との再戦が実現。高校時代よりポイント差をつけられる形で返り討ちにあった。以降はケガなどもあり、思うような結果を残せなかった。この悔しさが「もう一花咲かせたい」とプロ入りを後押しした。

 最後まで交わることがなかった2人だが、一度だけ手合わせをしたことがあった。川浦が井上と対戦する選抜の前。徳島県代表で興国高校に出稽古に行った。出場を逃していた橋詰、練習に来ていた京口と3人で2ラウンドずつスパーリングをした。川浦は「確か、お互いに見合って、あまり手を出さなかった記憶しかない」と振り返り、「やったのは覚えてますけど、内容までは」と橋詰が苦笑いする思い出だ。

 そんな縁もあってか、アマチュア時代は試合会場で顔を合わせれば、言葉を交わす間柄だった。「他の県の同級生の中では結構、話してたほうで“敵”っていう感じがしなかったし、デビューもあっちのほうが遅かったんで、やるイメージはなかった」と言う橋詰に対し、川浦は「どこかで試合をするんじゃないかと思ってましたけど、やっぱりやるんだなって」と笑う。

 巡り巡って対戦が決まるまでには思いがけないアクシデントがあった。もともとは昨年12月、川浦が日本スーパーフライ級2位の高山涼深(ワタナベ)とベルトを争う予定が、高山がケガでキャンセル。3位の橋詰にチャンスが回ってきた。

 「タイミングとしてはバッチリじゃないですかね。日本の最高峰のベルトを懸けて」。橋詰は腕を撫す。「同じ世代はプロになった人が多いんですけど、チャンピオンになってないのは僕ぐらい。ここは譲ってもらいます(笑)」。冗談めかしながら、川浦はタイトルへの思いを覗かせた。

 これまで同じ1993年度生まれのアマチュア出身選手による“同級生対決”は2018年9月、アマチュア時代は無冠で、当時は日本ランカーだった元日本フェザー級王者の佐川遼(三迫)が、フライ級で高校4冠、すでに東洋太平洋王者となり、世界挑戦もしていた松本亮(大橋)に3回TKO勝ちして以来、2度目になる。

<後編に続く>

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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