高津臣吾「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

ルーキー、2年目以降、控え――高津監督流それぞれのステージにいる選手達への、それぞれの接し方

高津臣吾

「何も言わない」こともマネジメント

【写真は共同】

 前述したように、監督初年度となった2020年シーズン、チームは低迷した。

 故障者も多く、ベストオーダーを組めなかったことはとても厳しかったけれど、それならば「若手にチャンスを与える」という方向に舵を切る必要があった。

 結果的にこの年は、先ほど名前の出た奥川をはじめ、大卒の吉田大喜、大西広樹、高卒の長岡秀樹、武岡龍世と、意図的にルーキーたちを起用した。他にも2年目の濱田太貴や、支配下登録を勝ち取った長谷川宙輝など、未来を見据えた起用を積極的に行った。

 もちろん、これまで話してきたように、全ては「経験」ということを意識した起用である。例えば、ドラフト2位の吉田大喜はシーズンを通じてローテーションを守ってくれた。抑えることもあったし、打たれることもあったし、まだまだ課題は多かった。それでも、僕は彼には一度も何も注意をしなかった。それは、彼がルーキーだったからだ。

 彼にとって、ルーキーイヤーとなった2020年シーズンは、「プロ野球に慣れること」が最も大切だと思っていたからだ。だから吉田には、「いいぞ」とも「ダメだぞ」とも、本当に何も言っていない。技術的に言えば、キャンプ時点でも、開幕直後でも、シーズン終盤でも、ほとんど何も変わっていない。

 それでも、明らかに開幕当初と比べると、シーズン終盤にはきちんと試合を作れるようになってきていた。むしろ、キャンプ時点の方がスピードはあったかもしれない。それでも、何とか投げ続けることができた。

 それはやっぱり「経験」がものを言っているのだ。

 最初は「とにかく一生懸命投げよう」という意識だけでいっぱい、いっぱいだったと思う。当初はキャッチャーしか見えていなかったのが、少しずつバッターを見られるようになってきた。

 そして、これからは相手ベンチを見ながら、「この回はランナーが1人出れば、あの打者が代打に出てくるだろう」など、相手の戦力を冷静に見られるようになってくる。そうしたことの積み重ねを経験している最中だと、僕は思っていた。

 こうした勝負勘だとか、勝敗のアヤのようなものはあくまでも実戦の中から自分自身でつかんでいくものなのだ。

 それには、絶対的に「経験」が大事である。

 僕は現役時代にリリーフだったが、マウンドに上がった時点で、得点差や相手打線、代打や代走など相手ベンチの控え選手を全て頭に入れた上でピッチングしていた。具体的には、「次のバッターは誰々だ。そして、次はこのバッターが代打に出てくるだろう。得点差を考えれば、ランナーは2人までなら出しても大丈夫だ……」、そんなことを常に考えていた。目の前の勝負だけに集中していたら、足をすくわれることもあるのだ。

 吉田や長谷川にはまだそこまでは求めていなかった。でも、吉田が今後、先発投手として一人前になっていくには、試合前の時点で、すでに100球目以降のこと、6回、7回、それ以上を投げるペース配分まで頭に入れなければいけない。

 今後、そうしたピッチャーになってもらうための過程の1年。吉田や長谷川にとっての「2020年」という1年間を、僕はそのように位置づけていたのだ。

2年目以降の選手には積極的に注意をする

 ルーキーの奥川恭伸、吉田大喜、初めて支配下登録されたばかりの長谷川宙輝ら、入団したばかりの選手たちの起用法については、先に述べた通りだ。しかし、2軍監督時代に接していた、梅野雄吾、高橋奎二、寺島成輝ら、その少し上の世代となると話は別だ。

 彼らには具体的な注文も出すし、厳しく指導することも当然ある。高橋や梅野に厳しく接するのは、彼らがどんな課題を持っていて、その克服のためにどんな練習をしてきたのか、どういう性格なのか、そうしたことをこちらがある程度理解しているからである。

 高橋にしても、梅野にしても、寺島にしても、彼らの成長過程をずっと間近で見てきているというのは大きい。

 2軍監督時代には、彼らに対する「未来予想図」を明確にイメージしていた。1軍監督となってからも、彼らに期待すること、将来こうなってほしいというイメージなどに変化はない。高橋や寺島には、将来的には絶対にスワローズのエースになってほしいし、梅野には安心して9回を任せられる圧倒的なクローザーになってほしい。彼らが20代半ば、30歳になる頃には、堂々とチームを引っ張っていける存在になるように、本当の中心選手になってほしいと心から願っている。

 2020年シーズン後に開幕したフェニックスリーグでは、2021年シーズンに向けて寺島の先発テストも行われた。2020年は中継ぎで30試合に登板して結果を残していた。でも、将来を見据えて、彼には先発転向も視野に入れてほしいし、こちらも元々、先発投手として一本立ちしてほしいと思っている。そろそろ、結果を求めたいと思っている時期だった。

 そこに、奥川や吉田、さらにはこれからチームに加わるであろう若手投手がきちんと育ってくれば、長年の課題である「投手不足」も解消の兆しが見えてくる。

 1軍監督としては、当然目の前の戦いに勝たなければいけない。それは絶対である。しかし、数年後を見据えた育成のための起用も大切になってくる。その辺りは常に意識して選手起用をしている。もちろん手応えはあった。

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著者プロフィール

1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より東京ヤクルトスワローズ監督。

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