高津臣吾「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

ルーキー、2年目以降、控え――高津監督流それぞれのステージにいる選手達への、それぞれの接し方

高津臣吾

原樹理に対して厳しく接する理由

 原樹理という投手がいる。

 東洋大学時代にはエースとして活躍して、2015年ドラフト1位でスワローズ入りした期待のピッチャーだ。彼が入団してきたとき、僕は1軍投手コーチだった。彼のポテンシャルは高かったし、それこそ経験を積めばローテーション投手としてチームの中心選手となれる、そんな才能を誇っていた。

 しかし、それから数年が経ち、彼は伸び悩んでいる。だから、僕は原に対しては他の選手と比べてかなり厳しく接している。

 彼の場合は、入団以来ずっと見てきているので、僕の中にある「彼に求めるもの」はかなり高く設定されている。しかし、全然そこに追いついていないから、マスコミに対しても厳しいコメントになってしまうのだ。

 プロ入りして、1年が経ち、2年が過ぎ、プロとしての年数も経験も積んできている。今はプロ野球選手として、投手としてすごくいい時期に差し掛かっている。けれども、僕の目から見ればプロ入りしてきたときの原と今の原とを比べたときに、「何が変わっているのかな?」と考えると、クエスチョンマークが浮かんでしまうのだ。

 僕がピッチングコーチだった頃から厳しく接しているけれど、もっと大きく成長してほしい、野球脳を鍛えてほしいという思いはずっと拭えないままなのだ。

 僕は常々、その人に応じた接し方を心がけている。そういう意味では、原に関しては厳しく接した方がいいという判断をしている。

 マスコミを通じての発言だけではなく、直接、本人に向かっても厳しめだ。ただ、独りよがりの考え方かもしれないけれど、「なぜ他の投手よりも自分は厳しく言われているのか?」ということを、彼もきっと理解してくれているはずだ。それに、彼の場合はいくら厳しく接しても、いい意味で切り替えが早くて、「よし、次は頑張ろう」と考えることができるタイプなのも大きい。

 僕からの厳しい言葉を受けても、彼は決して凹まない。常に前向きだ。いくら怒られても、次の日には「今度はこうしようと思うんですけど、どうですかね?」と、正面から聞きにきたり、考えを述べたりするタイプなのだ。なかなか結果には繋がらない部分もあるけれど、彼の力を考えればまだまだ大きく成長できるはずだ。僕はとても期待している。

 かつて、野村克也監督は「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かす」と言っていた。僕自身としては、「絶対にチームを優勝させる」ということは、自信を持って断言できなかった。しかし、「チーム」ではなく、「個人」という観点で言えば、「絶対に彼らを一人前にする」ということは自信を持って言えた。

 投手で言えば吉田や長谷川が、打者で言えば村上や濱田が投打の中心選手として、大きく成長している姿は見えている。そして、そういう選手が1人でも多くなってくれば、当然チーム力も上がりチーム成績も上がってくる。そう考えている。

 「チーム力を上げる」というのは、ドラフトのくじ運であったり、有望な新外国人選手の獲得であったり、編成面による部分にも大きく左右される。その一方で、与えられた戦力をどう鍛え、どのように起用していくか、現場の裁量も同様に重要だ。現場の選手たちをどのように鍛え上げていくかということは我々首脳陣の仕事なのだ。

 我々の導き方、背中の押し方、指導力に全てがかかっていると言ってもいい。それは単に技術を教えることだけではなく、2020年シーズンに積極的に若手を起用していろいろな経験をさせたように、使い方の問題も出てくる。我々指導者、特に監督の責任はとても大きいのだ。

控え選手に対しては細心のケアが必要

 将来を見据えて、積極的に若手を起用するということは、同時に「試合に出られない中堅選手」を増やすことにもなる。

 その辺りのケアは最も頭を悩ませた部分だった。基本的には「出場時間は短くても少しでも出番を多くする」ということが最大の解決策である。プロ選手としてこの世界に飛び込んできた以上、思う存分自分の力を発揮したいと思うのは当然のことだ。だからこそ、スタメン起用でなくても、例えば代打で使う。代走で使う。守備固めで使う。マウンドに上げる。

 しかも、選手自身が「こんな大事な場面で」と意気に感じてくれるような使い方をする。気持ちよくプレーしてもらうこと。やりがいを感じてもらうこと。大切なのはこの辺りになってくると思う。

 中堅選手は、当然実績も経験もあるわけだからこそ、精神面のケアが大事になってくる。打席に立ったり、マウンドに上がったりするときには、さまざまなプレッシャーがある。ましてや、試合の途中から出場するとなればなおさらだ。

 プレッシャーの中でいろいろ考えてプレーしなければいけない。だからこそ、僕らが余計なプレッシャーを与えるようなことはしたくない。

「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

【写真提供:株式会社アルファポリス】

 2021年、東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監督は前年最下位だったチームをセ・リーグ優勝、さらに20年ぶりの日本一へと導いた。若手選手が次々と台頭し、主力・ベテランが思う存分力を発揮するそのチーム力は、スワローズの新黄金時代の到来すら予感させる。全ての選手が明るく楽しく野球を楽しみ、かつ勝負にも負けない。髙津監督はこの理想のチームをどのようにつくり上げたのか――

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著者プロフィール

1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より東京ヤクルトスワローズ監督。

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