書籍連載:ヤニス~無一文からNBAの頂点へ~

ドラフト当日、ホークスの落胆とバックスの歓喜 ヤニス~無一文からNBAの頂点へ~

ダブドリ編集部
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コミッショナーとの写真撮影に応じるドラフト当日のヤニス(右)。裏舞台には悲喜こもごものドラマがあった 【Getty Images】

 ついに彼が指名される瞬間がやってきた。バックステージでヤニスのフルネームの発音をヨーロッパ出身のティーンエイジャーと練習したデイヴィッド・スターンNBAコミッショナーがステージに向かい、バックスが15位でヤニスを指名することを発表した。

 ヤニスはサナシスとハグし、演壇へと上がり、スターンと握手を交わすと、満面の笑みを見せた。彼はとてもワクワクして、興奮している様子だった。とても若く、ベビーフェイスだった。彼はまだ18歳だった。ヤニスはその後のことをあまり覚えていない。とても緊張しながら「ありがとうございます」と言い、カメラのフラッシュが光る中、スターンから「あっち見て、今度はあっち、こっちも。君の旅路に幸運あれ!」と言われたのをかすかに覚えていると言う。ヤニスはとても自分のことが誇らしかった。ここに来るまで、本当に多くのことを経験してきたのだ。

 ヤニスの名前が呼ばれたとき、サナシスはギリシャの旗をはためかせた。バックスのアシスタントコーチで近しい友人であるジョシュ・オッペンハイマーによると、それはサナシスの案だったという。オッペンハイマーは、いつも弟のことを盛り上げ、祝っているサナシスのことを「ヤニスのフレイバーフレイブ(※ラップグループ『パブリック・エネミー』のハイプマンとして有名。ハイプマンとはメインMCに被せるようにラップをしたり、盛り上げ役を務める人物のこと)」と表現する。ヤニスは気乗りしなかったものの、サナシスは旗を振るのが最適だと感じていたのだ。「ヤニスはサナシスにギリシャの旗を振ってほしくないと思っていたんだ」とオッペンハイマーは言う。ギリシャが彼らに市民権をなかなか与えなかったことへの思いが強かったのだ。サナシスはヤニスに「自分たちのために主張しよう」と伝えたと、オッペンハイマーは話す。

「ヤニスは自分の家族や、他の移民への扱いにとても怒っていたんだ」とオッペンハイマーは言う。「しかしサナシスは(もし旗を振らなければ)もっと問題になることを理解していた」。

 ヤニスはギリシャ人であること、そしてここまで来れたことに誇りを持っていた。指名されるなんて予想もしていなかった。そして彼の横にはサナシスがいた。ヤニスが笑顔になれば彼も笑顔になり、ヤニスが笑えば彼も笑った。

 笑っていなかったのはホークスだ。彼らは失望していた。憤慨していた。ホークスのドラフトルームにいた誰かが、大きな観葉植物を投げ飛ばした。飲み物も投げられた。
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著者プロフィール

異例の超ロングインタビューで選手や関係者の本音に迫るバスケ本シリーズ『ダブドリ』。「バスケで『より道』しませんか?」のキャッチコピー通り、プロからストリート、選手からコレクターまでバスケに関わる全ての人がインタビュー対象。TOKYO DIMEオーナーで現役Bリーガーの岡田優介氏による人生相談『ちょっと聞いてよ岡田先生』など、コラムも多数収載。

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