いま、カンボジアサッカーが熱い。プロリーグ発展に情熱を注ぐ日本人“ダブルサイトウ”
カンボジア・プロサッカーリーグCEOの斎藤聡氏(右)とイージープロダクション社の 斎藤陽介氏(左) 【(C)CPL】
カンボジアにはノビシロしかない
もっとも、カンボジアサッカーと日本との関わりは、そのときにはじまったわけではない。日本サッカー協会(JFA)公認指導者の海外派遣事業においては、2007年頃から定期的に指導者がカンボジアに足を運んでおり、2022年は、カンボジアサッカー連盟(FFC)の技術委員長を務めて8年目を迎えた小原一典氏を含む4人が現地で活動している。むろん、JFAが関与しない日本人指導者・選手が他にも多数活躍しているのは言うまでもない。
そんなカンボジアにおいて、さらなるビッグニュースとして世間を驚かせたのが、昨年10月、新たに誕生するプロサッカーリーグ・カンボジアプレミアリーグ(CPL)のCEOに斎藤聡氏が就任したことだ。海外プロリーグの代表に日本人が就任するのは初めてのことである。
「もともとFFCの中にあったアマチュアリーグを、投資家の後ろ盾を得て法人化することになりました。私自身はFIFA(国際サッカー連盟)コンサルタントとして2013年頃から東南アジアの各国を担当させていただいており、FFCのサオ・ソカ会長ともお付き合いがあったんです。当時携わっていた東京五輪も終わり、『次は何をしようか』と思っていたところでちょうどお声掛けいただいたので、よし、やってみようと決めました」
カンボジアは2022年10月発表のFIFAランキングで177位と、世界の中では弱小国であるのは事実。しかしその一方で、2023年には「東南アジアの五輪」と呼ばれるスポーツイベント「SEA Games」の自国開催が決まっており、上述の日本からの指導者受け入れなどを含めて「10年計画」としてそこに向けた強化・改革を進めている。CPLの立ち上げは、そのプロジェクトの最終章となるものだ。
「ご存知の通りカンボジアは、長らく続いた内戦やポル・ポト政権下の大虐殺など、悲しい歴史を歩んできた国です。だからこそSEA Gamesを成功させて復興を示したい、さらには最も人気のあるサッカーで盛り上げて優勝したい、そんな強い気持ちを持って準備を進めています。人口の70%以上が30歳以下という、高齢化が進む日本とはある意味真逆の国であり、明るい未来とノビシロしかないんですよ。新しいチャレンジとして、これ以上ない良い機会だと感じました」
東京五輪後、聡氏(右端)は新たなチャレンジの場としてカンボジアを選んだ 【(C)CPL】
並行して、リーグのブランディングなどビジネス面での改革も進めてきた。そこで協力を仰いだのが、年間約3,200試合もの国内外のスポーツ中継・映像制作を担っているイージープロダクション社だ。同社は趙守顕(チョウ スヒョン)氏と日置貴之氏の2名が2017年に立ち上げ、コロナ禍の映像配信需要の高騰も相まって急成長を遂げてきた。
趙氏は、ヨーロッパサッカーや国際大会の放送権や配信権のプロフェショナルとして、世界的に有名なスポーツエージェンシーの事業責任者として活躍し、世界中にネットワークを持つ。日置氏も、国内外の数多くのスポーツリーグや連盟の改革や事業支援を行ない、東京五輪の開会式・閉会式のエグゼクティブプロデューサーも務めた。スポーツビジネス界のリーダーが作った同社は単なる制作会社の枠を超え、競技団体のニーズを理解し、権利開発から制作、配信までを包括的に支援する革新的な企業である。
「『全てのスポーツを民主化して解放していく』というのは、ちょっと強めの言葉ではありますが、我々の会社の思いです。全ての映像権利を主体者であるリーグが保有・管理し、顧客のニーズに合わせ、時代に適した方法で機動的に事業を展開し、収益化をすることが大事だと考えます。そのためにはどんな規模のリーグであっても映像コンテンツの権利を一元化し、完全保有することが不可欠です。そこからスポーツビジネスは始まります。スポーツ組織自体が収益化し、自立できるためのツールを作ることが、イージープロダクション立ち上げ時に、趙と僕とで決めたことでした」(日置氏)
そんなスポーツ界の革新的なリーダーたちの下でスポーツ中継・映像制作のノウハウを身につけ、同社の海外事業担当としてカンボジアに足を踏み入れたのが、斎藤陽介氏だ。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、4シーズンにわたるトップチーム在籍を経て、アルビレックス新潟シンガポールへ移籍。ヨーロッパに渡り、ラトビア、ロシアなどのクラブでプレーした後に2018年に引退し、同社でセカンドキャリアをスタートさせた。
2018年にサッカー選手を引退し、セカンドキャリアとして映像制作に携わる陽介氏(右) 【(C)CPL】
スポーツビジネスで多くの実績をつくってきた聡氏がリーグのトップに立ち、選手としてさまざまな国でのプレー経験と映像制作のノウハウを持つ陽介氏がサポートする。“ダブルサイトウ”によるカンボジアサッカーの改革はこうしてスタートしたのであった。