[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第23話 交差するそれぞれの正義
「W杯の最多失点記録って何点だろ?」
今関がストレッチをしながら、珍しく真剣な表情で質問してきた。
丈一が答えられずにいると、データに詳しい20歳の水島海が割り込んできた。
「僕の記憶によれば、1982年W杯でエルサルバドルがハンガリーに1対10対で負けてますね。あと、2002年W杯ではサウジアラビアがドイツに0対8で完敗したかな」
「最多失点は10点かあ。俺たち、ブラジル戦で記録更新するかもしれないぜ」
今関が空を見上げた。
そんなやりとりをしていると、輪の反対側から言い争う声が聞こえてきた。
「ボールを失ったとき、早くDFラインを下げすぎだろ。これじゃあボールを奪い返せない」
「責任転嫁しないでください。ボールを失う形が悪すぎるから、戻らざるをえないんです」
リゴプールでプレーする高木陽介と、ASミランの秋山だ。ボールを失ったあとに、どうやって守るかでもめているようだ。高木は「すぐに奪い返すべき」と主張し、秋山は「リスクを避けて、ゴール前を固めるのを優先すべき」と主張している。
専門用語で言えば、いわゆる前者は「ゲーゲンプレッシング」、ボールを失った直後、数秒間だけ組織的に激しくボールを追う守備のことだ。一方、後者は「リトリート」、後ろに戻って陣形を整える守備である。
どちらの守り方も正解になりうるだけに、どうしても議論は平行線を辿ってしまう。そうなると、あとは感情論になる。
秋山は一歩も引かず、高木に対して反論を続けた。
「失点したら、誰がメディアから責められると思います? GKとDFですよ。ヨースケさんはその気持ちを分かってない。日本代表は世界中から選手を買えるリゴプールとは違う、下手くそが集まっているんです。理想論で話をしないでください」
「下手くそだから、走って走って取り返すんだよ。ブラジルにとって、どっちが嫌かを考えろ」
見かねた今関が駆け寄り、「それって監督が決めることで、俺たちで話しても仕方なくね?」と2人の間に割って入った。
ゼキ、助かった――丈一は心の中で、今関に感謝した。今の自分はキャプテンと言っていいか分からない立場になっており、あまり出しゃばるとまた反発を招きかねない。
ところが、場が収まったと思われたとき、予想もしなかったことが起きた。
身長189センチの松森虎が、急に立ち上がった。タイガーと呼ばれるFWはマットを振り回して芝生にたたきつけると、両手の拳を握り、空に向かって咆哮(ほうこう)した。
「おまえら、W杯をなんだと思っているんだ!」
【(C)ツジトモ】
「俺はW杯で死んでもいいと思ってる。逆に相手をけがさせていいとも思ってる。生き残ったものだけが正義だ。それをおまえたちはなんだ。ファッションショーにでも出るつもりか? カッコつけてんじゃねえ!」
松森はストレッチの輪から脱し、1人で自転車置き場に向かった。マウンテンバイクにまたがると、森に向かってさらに吠えた。
「おまえたちのような人間とは、戦場に行けねえ」
これまで松森がチームメートに意見することは1度もなかった。壮行試合のチリ戦後の選手ミーティングにも参加しなかった。チームに無関心なタイプの人間だとみんなが思っていた。
だが、それは誤解だった。松森は無関心なのではなく、覚悟がない人間と話しても意味がないと思っていたのだ。タイガーにとってピッチは命を落としてもいい場所であり、戦いに対する捉え方が他の選手とはあまりに違いすぎた。
チームが分裂してしまった――丈一はその瞬間を目の当たりにしているのに、どうすることもできなかった。
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【(C)ツジトモ】
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代表チームのキーマンに食い込み、ディープな取材を続ける気鋭のジャーナリストが、フィクションだから描き出せた「勝敗を超えた真相」――。
【もくじ】
第1章 崩壊――監督と選手の間で起こったこと
第2章 予兆――新監督がもたらした違和感
第3章 分離――チーム内のヒエラルキーがもたらしたもの
第4章 鳴動――チームが壊れるとき
第5章 結束――もう一度、青く
第6章 革新――すべてを、青く
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