砂まみれの名将 野村克也の1140日

野村克也、シダックス監督生活がスタート 「野村克也ファースト」で支えた27歳の奮闘

加藤弘士(スポーツ報知)
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【写真は共同】

 2001年12月に阪神監督を志半ばで辞任、約1年後の2002年11月に社会人野球シダックスの監督就任を発表した野村克也。ここでは野村監督のシダックス監督時代を描いたノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』より、就任直後の野村監督、そして周囲の人々を取り上げた第2章の一部を抜粋して、3回に分けてご紹介します。

野村シダックス、始動

 野村克也は朝型人間になった。

 2003年1月8日、シダックスGM兼監督としての新生活がスタートした。

 平日は世田谷区玉川田園調布の自宅を出て、新宿のヒルトン東京に宿泊することになった。自宅から練習場となる調布市内のグラウンドへ車で向かうには、渋滞が避けられず、到着時刻が読めないからだ。

 新宿から調布なら距離は離れるが、高速道路で約30分。通勤時の混雑とは逆方向となり、楽に行ける。

 マネジャーの梅沢とは、毎朝午前10時にヒルトンのロビーで待ち合わせることに決めた。上下ジャージ姿。赤いスタジャンを着て、梅沢の運転する黒塗りのセドリックの後部座席に乗り込んだ。

 調布インターチェンジを出ると、2年前に開場したばかりの東京スタジアムが見えてくる。
 この巨大な競技場に隣接する調布市営の少年野球グラウンドが、シダックスの練習場だ。自前のグラウンドではない。

 第二次世界大戦中、調布飛行場建設のために切り開かれ、戦後は米軍に接収されたエリアである。1963年からは米軍の軍人とその家族らの居住地区「関東村」となった。74年、国に返還され、一帯にはスポーツ施設や病院等が建てられた。

 そんな経緯もあり、チーム関係者はグラウンドを「関東村」と呼んでいた。

 砂埃が舞う中、セドリックが関東村の砂利道に現れると、ナインの間に緊張感が漂った。

 到着するとすぐさま、梅沢が後部座席のドアを開ける。野村は車を降り、ゆっくりとグラウンドへ歩を進めた。
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著者プロフィール

1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、2022年3月現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。

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