パラスノボ・岡本圭司が得た“最高の8位” 「人生終わった」怪我からつかんだ大舞台

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事故から3年後、岡本に転機が訪れる

33歳の脊髄損傷から7年、再び岡本は世界の大舞台に戻ってきた 【写真は共同】

 事故から3年後、岡本にターニングポイントが訪れる。平昌パラリンピック1カ月前の18年2月に行われた「サポーターズカップ(長野県・白馬村)」に軽い気持ちで参加することに。日本代表選手も出場する大会に自信満々で臨んだが、長く伸びた鼻をへし折られる結果となった。

「プロでのキャリアもあり、正直テクニックには自信を持っていました。この後金メダルを獲得した成田緑夢など、平昌パラリンピックの日本代表も何人か出場していたので、全員をぎゃふんと言わせてやろうと思っていましたが、さらっと負けましたね。しかも全敗です。その時は完全に舐めていました」

 自信を持って挑んだ大会で負けに負け、アスリートとしての闘争心が芽生えたのと同時に、岡本は何か大切なものをこの大会で掴(つか)むことになる。

「絶対勝てると思っていたのですが、彼らは彼らで残された機能を使い、ものすごいパフォーマンスをしていました。その時に感化されたというか、この人たちに勝ちたいという気持ちが湧いてきました。自分が障がいを抱えてから初めての感情でしたね。それと同時に、障がいを持っていても同じような人たちと再び競い合える機会とか、活躍できる場所があることに感謝しました」

 暗闇で彷徨(さまよ)っていた岡本に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。そこから4年後の北京パラリンピック出場を目標に競技に取り組むと、めきめきと力をつける。

 翌年の19年からワールドカップ(W杯)に参戦すると、20年1月の北米選手権第2戦で国際大会初優勝を果たす。昨季はW杯フィンランド大会で第1戦、第2戦ともに4位に入ると、続くイタリア大会第2戦では準優勝に輝く。シーズンを通して安定した成績を収め、W杯年間総合王者のタイトルを獲得した。

結果に納得はしているが、ゴールではない

 そして迎えた北京パラリンピック。最初の種目のスノーボードクロスで8位入賞という結果に納得し、自分が置かれている世界との立ち位置を冷静に分析していた。

「正直、世界のトップ5は飛び抜けているんですよね。なので、準決勝に進出した僕といっちー(市川貴仁)が表彰台に立てる実力かと言えば、ギリギリ運が良くないと立てないというのもわかっていました」

 納得はしているが、今回の結果がゴールではない。岡本は今後に向けての課題について、2日間のレースを通して改めて感じた。

「ウエイト(体重)は僕だけ60キロで、上位の選手は80キロ台なんですよね。(4位入賞のW杯)フィンランド大会とか(準優勝のW杯)イタリア大会とかはテクニック寄りのコースでした。今回の北京のコースは6、7割くらいウエイト寄りのコースなので、やっぱりかなわなかったですね。技術的にも上位4選手の方が高いですね。スタートは100点に近いかもしれないですが、キッカー(コース途中のジャンプ台)も直線もカービングも現状70点くらいしかないので。今後100点に近づけていくことが大事かなと思います。なのでまだまだ可能性はあります」

 岡本はこの後、12日のバンクドスラロームにも出場する予定だ。スノーボードクロスと同じく、体重差が影響しそうなバンクに不安を浮かべるも、レースの時を楽しみに待つ。

「一個一個のバンクに集中して、最高のターンを決め続けるしかないですね。思ったより大きいバンクなので、持ってきた板が合わないかなと思っているんですけど、ベストを尽くしたいですね。今からめっちゃ楽しみです」
 
 岡本は大会中、何度も「バイブス」という言葉を使い、この舞台にたどり着いた興奮を表していた。40歳になった元プロスノーボーダーが、大きな挫折を乗り越えて手に入れた、何物にも代えがたい満足感。高まる感情をまた表現できるチャンスが、今から待ち切れない。

(取材・文:赤坂直人/スポーツナビ)

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