川除大輝の両親が明かす、名前に込めた思い 北京パラリンピック日本選手団旗手の素顔

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レジェンド新田佳浩との出会い

クロスカントリースキー界のレジェンドから、2カ月前に獲得した金メダルを首に掛けてもらい、笑顔を見せる川除大輝(写真中央) 【写真提供:川除家】

 小学4年生のとき、転機が訪れる。新潟県妙高市のスキー場で、その年(2010年)に行われたバンクーバーパラリンピックで金メダルを獲得したクロスカントリースキー界のレジェンド、新田佳浩(日立ソリューションズ)と運命的な出会いを果たすのだ。2カ月前に獲得した金メダルを首に掛けてもらい、その様子をそばで見ていた大輔さんが述懐する。

「金メダルを掛けてもらって大輝はすごく喜んでいました。技術的なことや、4年に一度パラリンピックという大会があるんだ、ということをニコニコした表情で聞いていましたね」

 小学校卒業後は地元の大沢野中学校に進学すると、部活動はスキー部と陸上部を兼部。冬は雪上練習を行い、夏は体力強化に取り組んだ。

 中学3年生に進級すると、大輝は悩んでいた。これまでは健常者と同じレースに出場していたが、年齢が上がるにつれて思うような結果が出せなくなっていた。そんななか、新田選手が所属する日立ソリューションズ障害者スポーツチームのスキー部「AURORA(アウローラ)」から本格的にパラ競技の道へ進まないかとオファーを受ける。「健常者と戦いたい」という気持ちもあったが、大輔さんが背中を押した。

「大輝自身は健常者と同じフィールドで戦いたい、勝負がしたいと最後まで迷っていました。そばで見ていて、県大会では上位に行けるのですが、全国大会では結果がついてこなくなってきたことは分かっていました。それでも大輝は“特徴”を持った選手なので、パラのフィールドで頑張れば良いじゃないかと話をしました。すると本人も納得した表情で、チームの方に加入しましたね」

障がいを感じさせないくらい『大きく、輝いて』

川除大輝は18歳の時に世界選手権・距離男子立位ロング・クラシカル(20キロ)で優勝を飾る 【写真提供:川除家】

 活動の場を本格的にパラ競技に移した大輝はめざましい活躍を見せる。高校2年生の17歳で平昌パラリンピックに初出場すると、18歳の時に世界選手権・距離男子立位ロング・クラシカル(20キロ)で優勝を飾る。日本勢としては03年の新田選手以来の快挙だった。

「平昌パラリンピックは妻と現地で応援しました。一生懸命、がむしゃらに走る姿を見て、こみ上げてくるものがありました。17歳で日の丸を背負い、最高の舞台で滑っていたことはとても誇らしかったですね。世界選手権の優勝はアウローラの長濱監督から聞きました。最初に聞いた時、『本当に優勝したのかな?』と実感がありませんでしたが、大輝がチームで撮った動画を送ってくれたので、『おめでとう』と伝えました」
 
 今回の北京パラリンピックでは日本選手団の旗手という大役を任された。17歳で出場した平昌では、混合10キロリレーで4位に入るも、個人種目では目標の入賞にあと一歩届かず9位だった。4年分の成長を遂げた今回は、さらなるステップアップを目指している。

 最後に、「大輝」の名前の由来について尋ねると、大輔さんは次のように明かした。

「障害を持って生まれてきましたが、それを感じさせないくらい『大きく、輝いて』欲しい。そう願いを込めて名付けました」

 両親が名前に込めた思いの通り、川除大輝は生まれてから今日まで、まばゆいくらいの輝きを見せてきた。目前に迫った北京パラリンピックの舞台でも、一際『大きな輝き』を放つに違いない。両親は愛息の勇姿を日本から見守る。

(取材・文:赤坂直人/スポーツナビ)

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