“未知への挑戦”が平野歩夢を金メダルに導く 東京五輪の経験によって「全てで強くなれた」

スポーツナビ

チャレンジの連続だった4年間がもたらした変化

スケートボードに取り組んだことにより、足裏の感覚が強化されたことも今回のパフォーマンスにつながった 【Photo by Jamie Squire/Getty Images】

 2018年11月に、東京五輪を目指しスケートボードに挑戦することを表明してから、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。特に大きな影響を与えたのが、東京五輪の1年延期だ。これによってスケボーから、スノボへの切り替え期間はわずか半年足らずに減ってしまった。東京五輪を終え、スノーボードの強化合宿に合流したのは10月。村上コーチ曰く「(戸塚)優斗や平野(流佳)の域に行けるか? (銀メダルを獲得した)平昌の滑りまで持ってこれるか?」と、不安が残る状態だった。だがそこから歩夢は、「誰よりも練習量が多かった」(村上コーチ)と、秋の欧州合宿で周囲が驚くほどの練習量をこなしていく。さらに、スノーボードより薄いスニーカーを履き、ボードと足をつながずに競技を行うスケートボードに多くの時間を割いたことで、足裏の感覚が強化されたことも好影響を及ぼした。

 村上コーチが「大きかった」と語るのは1月下旬のX Games終了後、8日間にわたって行った米国コロラド州・カッパーマウンテンのトレーニングだった。X Gamesでジェームズに次ぐ銀メダルに終わった歩夢はここから猛特訓。「1日50本とか60本とかかなりの練習をしてきたことで、たぶん3本ともメイクできたのかな、練習のおかげかな」と本人も振り返るように、マットとハーフパイプの両方で数多くのトレーニングを積み、トリプルコーク1440の着地を徹底的に繰り返した。

 だが、今回の金メダル獲得の原動力になったのは練習量だけではなかった。スケートボードとスノーボードの両立という、未知の挑戦に挑んだことも含めて、チャレンジの連続だった4年間を過ごしたことが、歩夢の内面に大きな変化をもたらした。

「(いろいろな)チャレンジをしてきて、自分の中でも分からないような気持ちというのをいろいろ経験してきたことが、メンタルも含めて、何も怖いものがないという強さに変わっていきました。生活だったり普段やらないことをやってきた時間が今回は多かったので、そうした体験が練習にも生きました。全てを含めて自分が強くなれたんじゃないかなと思います」

スーパースターのホワイトも「マジでいい滑りだった」と賛辞

この五輪を最後に引退を表明しているショーン・ホワイトも「マジでいい滑りだった」と賛辞を惜しまなかった 【Photo by Christophe Pallot/Agence Zoom/Getty Images】

 晴れて金メダリストとなった歩夢には日本だけでなく世界中のメディアが殺到していたが、この日はもう1人主役がいた。この五輪を最後に現役引退することを表明しているショーン・ホワイト(米国)である。3度五輪王者となった35歳のベテランは、2本目で85.00点を記録し、一時はメダル圏内に浮上。だが、すぐにジェームズ、歩夢らに逆転を許す。そして、現役最後の滑走となる3本目では惜しくも転倒し、5回に及ぶ五輪への挑戦が終わった。それでも手を上げて応援に応えるホワイトに、観客からは惜しみない拍手が送られた。

 ホワイトの最後の試合で五輪王者となった歩夢は、競技終了直後にがっちりと抱擁。「マジでいい滑りだった」と賛辞を送られたことを明かした上で、このようにスーパースターへの思いを明かした。
 
「結果どうこうじゃないというのが、ショーン(ホワイト)と僕の中ではうっすらとつながっている部分なのかな。毎回会うたびに声かけてくれるし、自分にできない経験をショーンはしているので、そういう背中はリスペクトしています」

 ホワイトから五輪王者の座を受け継ぎ、今後については「どういう道を進んで行くか、しっかり考えなおして進んでいきたい」と多くを語らなかった。どのような選択をするかはまだ分からないが、偉大なスターの後継者として、平野歩夢は世界からますます注目される存在になりそうだ。

(取材・文:石橋達之/スポーツナビ)

2/2ページ

著者プロフィール

スポーツナビ編集部による執筆・編集・構成の記事。コラムやインタビューなどの深い読み物や、“今知りたい”スポーツの最新情報をお届けします。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント