奥原希望、五輪での「答え合わせ」を回顧 変化の5年、敗戦の要因、新方程式の模索
終わりは始まり、パリ五輪で探す「答え」
奥原は「終わったときは、もう何かの次の始まり」と次への挑戦に気持ちを切り替えている 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
もちろん、私が結果を出せたら、小さい選手でも(攻めて勝てる)可能性があると感じてもらえるかなとは思いますけど、ほかにも、いろいろな方法があると思います。この5年間は、私の強みであるフットワークを生かす攻撃的なスタイルに取り組んできましたが、また残りの3年は違うものが見えてくるんじゃないかと思いますし、違う挑戦、違う過程で同じ答えを探しに行きたいなと、今、思っています。
――残りの3年ということは、パリ五輪で再挑戦ですね?
終わったときは、もう何か次の始まりだと思っていました。5年の挑戦の方程式は終わりましたけど、自分が諦めない限り(次の挑戦は)続くし、続けられると思いました。正直、いつ解けるかは分かりませんが、試合が終わった瞬間も絶望感はなく、この5年で見えてきたものが確実にあると感じました。今回は5年で、次は3年。終わっても気が緩められないな……という感覚ですが(笑)、また厳しい挑戦を続けるには、揺るぎなく強い覚悟がないと進んでいけません。今は、気持ちは切らさず、でも、スイッチはまだ入れずという感じ。ゆっくり、気持ちと体のスイッチが入っていくタイミングでスタートできればと思っています。
――東京五輪まで挑戦した方程式に、何を足すかという新しい挑戦。そのイメージは、もう見えていますか?
まだ何となくですが、攻撃的なスタイルの延長線なのかなと思います。自分がポイントを取りにいけるパターンを広げられたらいいのかなと。陳雨菲選手(チェン・ユーフェイ/中国)が(東京五輪で)優勝したところを見ると、全体的に言えば、大きくゆっくりとした展開が今回は正解だった大会で、それは自分が元々得意としているもの。だから、元々の守備的な展開を取り入れながら、点を取りに行くプレースタイルを広げていきたいと思いましたし(試合中に適切に)プレーを変えられる経験も必要なのかなと思っています。プレーの幅を広げるものが1、2個見つけられたら、それが方程式の+1や+2になって大きく変わってくると思うので、そこを考えていけたらいいかなと思っています。
時折、眼を赤らめ、東京五輪を振り返ってくれた奥原。今回の思いは3年後のパリへ 【スポーツナビ】
コロナ禍で開催の是非が問われていましたが、大会を振り返ると、大会スタッフの方や、ボランティアスタッフの方に触れる中で、五輪を楽しみにしてくださっている方は多かったように感じましたし、そういう方たちの存在に気付いたからこそ、結果で期待に応えたかったと、すごく感じています。次はパリ五輪を目指しながら、まずは来年、日本で開催される世界選手権を考えています。今回の課題の一つとなったピーキングについても、世界選手権をターゲットにすることで、大きな大会への照準の合わせ方が分かってくればいいと思います。5年間の自分の方程式の挑戦が終わりましたが、このまま「ああ、解けずに終わった」というのは悔しいですし、また新しい方程式、公式を自分の中で見つけていきたいです。大会後、周りの人から「また頑張ってね」と言われて、まだ待ってくださる方も多いんだなと感じました。パリまでの3年、その厳しい道を、また一歩一歩確実に、支えてくださる皆さんと一緒に進んでいけたら良いなと思っています。
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取材中、本当に複雑な心境で臨んでいたのだと感じた。考えも言葉も明確だが、思い出すたび悔しいのか、モニターの向こうの彼女は時折、眼を赤らめ、涙をこらえているように見えた。消化しきれぬ思いもあるだろう。それでも、取材の終わりには「いろいろとスペシャルすぎて、難しすぎましたね。あまり深く考えずに楽しんだ人の方が結果を出したようにも感じましたし、もうちょっと若い子のノリとかパッションから学びたいですね」と、迷いを吹っ切るような笑顔を見せた。彼女が、今回の悔しさから何を学び、方程式に何を足して金メダルという正解へ向かうのか。「+3」年の挑戦を楽しみにしたい。