「必然」だったジャイアントキリング 森保ジャパンに慢心はなかったか?

宇都宮徹壱

16年ぶりに日本を撃破したイバンコビッチ監督

試合後にイバンコビッチ監督が「歴史的な勝利」と振り返ったように、オマーン代表は日本代表を入念に研究して勝利に結びつけた 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

「私たちにとっては、歴史的な勝利だった。このビッグゲームを迎えるにあたり、すべてにおいて心を込めて、誠心誠意を尽くして戦った結果だ。(試合前に)選手に伝えたのは『われわれに失うものはない、得るものがあるだけだ』ということ。そしてわれわれには、サプライズを起こしてオマーン国民に誇りを持ってもらうという夢があった。今日、その夢を果たすことができた。私はオマーン代表監督の仕事が、楽しくて仕方がない」

 オマーン代表、ブランコ・イバンコビッチ監督の試合後のコメントである。
 9月2日にパナソニックスタジアム吹田で行われた、ワールドカップ(W杯)・カタール大会のアジア最終予選の第1戦。オマーンは敵地で日本を相手に1-0の歴史的勝利を収めた。FIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは、オマーンは79位で日本は24位。6チームが組み込まれたグループでは、ランキングが最も高くて本大会出場6回を数える日本に対し、オマーンは5番手で本大会の出場実績はない。過去の対戦成績も、日本の9勝3分け0敗。これをジャイアントキリングと言わず、なんと言おう。

 試合前、オマーン代表に関して私たちが持ち得た情報は、極めて限られたものであった。ランキングと対戦成績のほかに、直前にセルビアで1カ月間の長期合宿をしていたことくらい。「なぜセルビア?」と思い、監督の名前を確認したら、いかにも旧ユーゴ系(ただしセルビア人ではなくクロアチア人)。そのイバンコビッチ監督が、16年前にイラン代表を率いていたことを思い出し、ふいにテヘランでの最終予選の情景がよみがえった。

 2005年3月25日、11万人の大観衆(しかも男性ばかり)で埋まったアザディ・スタジアムで、日本はイランに1-2で敗れている。当時の日本には、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、高原直泰という錚々(そうそう)たる面々が並んでいた(日本の1点は福西崇史によるもの)。そしてイランは、2ゴールを挙げたバヒド・ハシェミアンをはじめ、メフディ・マハダビキアやアリ・ダエイも健在。このタレント軍団を率いていたのが、現在のオマーン代表監督である。

 もっとも「同じ監督に負けた」とはいえ、今から16年も昔の話だ。しかも、アザディというアジアでも究極的なアウェーで、相手が屈指のタレントを誇るイランとなれば、納得できる敗戦と言えなくもない。ところが今回はホームで、相手はイランのように人材が豊富でもなく、しかも今の日本は欧州組が主流。当時と比べて、明らかに戦力が充実していたにもかかわらず、森保一監督率いる日本はオマーンにあっさり敗れてしまった。

「奇跡」を「必然」にさせた3つの要因

後半から出場した古橋(中央)は本来のポジションである前線ではなく左サイドでの起用となり持ち味を発揮したとは言い難かった 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 この番狂わせは、なぜ起こってしまったのか?

 一見すると「奇跡」のようでありながら、終わってみれば「必然」と思われる要因は少なくとも3つあった。すなわち(1)オマーンとのコンディションの差、(2)想定外の主力の離脱、(3)効果的な修正力の欠如、である。このうち(1)については、すでに述べたとおり、オマーンには1カ月の準備期間があった。対して日本は、合宿がスタートしたのが試合の3日前。しかも前日になっても、招集メンバー全員がそろうことはなかった。

 そこに重なったのが(2)の想定外の主力の離脱である。この試合では、W杯予選8試合連続ゴールの南野拓実が、コンディション不良でベンチスタート(結局、出番なし)。それ以上に痛かったのが、南野と同じ理由で前日練習に参加できなかった、板倉滉の離脱。さらに冨安健洋と守田英正が、入国のタイミングが遅れたためベンチ外となり、ボランチとセンターバックのバックアッパーが不在となってしまった。

 こうした状況に加えて、日本を窮地に追い込むこととなったのが(3)の効果的な修正力の欠如である。相手が中央を固めてきたことについては、多くの選手が指摘しているところ。森保監督自身「相手がある程度、中央の守備を固めてくることは起こり得ること」とコメントしている。両サイドは高い位置を保つことができていたが、後半に左MFに起用された古橋亨梧が有効に機能していたとは言い難く、なぜか両サイドバックの長友佑都と酒井宏樹は90分間プレーし続けることとなった(試合後、酒井の離脱が発表された)。

 森保監督が事態打開を託したのは、若い堂安律と久保建英。しかしそれ以前に、古橋を左ではなく前線にスライドさせるとか、消耗したサイドバックにフレッシュな選手を投入するとか、他にやるべきことがあったのではないか。何もできない日本を尻目に、オマーンは後半43分、途中出場のイサム・アブダラ・アルサビのゴールで均衡を破る。そして5分間のアディショナルタイムをしのぎきり、オマーンの歴史的アップセットは成立した。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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