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銅メダル逃す完敗、采配に疑問も…
本田泰人が指摘する「2つの判断ミス」
1968年メキシコシティー五輪以来、53年ぶりのメダル獲得はならなかった。久保(写真右)や堂安など、これからの日本を背負っていく逸材は、この悔しさをフル代表の戦いにぶつけてほしい
1968年メキシコシティー五輪以来、53年ぶりのメダル獲得はならなかった。久保(写真右)や堂安など、これからの日本を背負っていく逸材は、この悔しさをフル代表の戦いにぶつけてほしい【Getty Images】

 銅メダルを懸けて、メキシコと3位決定戦を戦ったU-24日本代表は序盤の2失点が大きく響き、結局1-3で敗れた。2012年ロンドン五輪に続いて、またしてもメダルにあと一歩届かなかったわけだが、ではなぜ、グループステージで快勝した同じ相手に、この大一番で完敗を喫してしまったのだろうか。元日本代表MFの本田泰人氏は、ピッチ上とベンチワークの“2つの判断ミス”を指摘する。

PK献上の遠藤の気持ちは分かるが…

心身両面に相当なダメージを負っていたのは確かだろうが、それは言い訳にならない。珍しく不要なファウルでPKを与えた、遠藤の判断ミスが悔やまれる
心身両面に相当なダメージを負っていたのは確かだろうが、それは言い訳にならない。珍しく不要なファウルでPKを与えた、遠藤の判断ミスが悔やまれる【写真は共同】

 まずは、遠藤(航)のファウルでPKを与えたシーン。


 同じボランチとして、気持ちは分かるんだ。バイタルで仕掛けられるのはすごく嫌だし、1対1ではがされると、本能的に後ろから追いかけて止めたくなるんだよね。


 ただ、あれは判断ミスだった。カバーリングもいたし、無理をして行く必要はなかったよね。コンディションが良ければ、はがされてもうまく付いて行けたかもしれない。だけど、準々決勝のニュージーランド戦、準決勝のスペイン戦と、2試合連続で延長戦を戦った後ということを踏まえた上で、あそこは自重すべきだった。きっと頭の中のイメージに、身体が付いていかなかったんだ。


 それに、PKで失点するというのは精神的なダメージも大きいからね。例えば、あそこでもしマークを受け渡して、カバーに入った選手がかわされてゴールを決められたとしても、そっちの方がまだ切り替えやすいんだ。


 22分にセットプレー(FK)から簡単にやられたのも、結果的に遠藤のところだった。(守り方が)ゾーンだからああいう形にはなりがちなんだけど、ちょっと対応が遅れてるんだよね。


 吉田(麻也)と酒井(宏樹)を含めたオーバーエイジの3人は、精神的にも肉体的にも相当な負荷がかかっていたと思う。だけど、それは言い訳にならない。とにかくこの試合の遠藤は、珍しく判断が悪かったね。


 それでも、グループステージでの対戦時(2-1で勝利)とは正反対で、序盤でメキシコに2点のリードを許したけど、チームとしては落ち着いてやっていたと思う。焦ることなくしっかりとボールを動かしていたし、攻め込むシーンもあったからね。


 それだけに、俺が首を傾げたのは、後半の頭から相馬(勇紀)に代えて旗手(怜央)を左サイドに入れた采配なんだ。メキシコの右サイドバック(ホルヘ・サンチェス)は相馬の仕掛けを嫌がっていたし、実際、42分にはイエローカードももらっている。


 それなのに、タイプの違う旗手を入れて、結果的に相手を楽にしてしまった。あの采配は、正直クエスチョンだよ。もちろん、チームの内情は分からないけど、相馬は大会前から良いコンディションを維持していたし、大会に入ってからも相手の嫌がるプレーを常にやっていた。メキシコの選手たちも相当に疲れがたまっている中で、あれだけ縦に勝負されたらしんどいと思うよ。後半の行けるところまで、相馬を引っ張っても面白かったんじゃないかな。

残り5分で吉田を上げる相変わらずの戦術

78分、鋭い切り返しからゴールを決めた三笘。後半の頭から相馬を下げるのであれば、旗手ではなく、三笘のようなドリブラーを投入すべきだったと本田氏
78分、鋭い切り返しからゴールを決めた三笘。後半の頭から相馬を下げるのであれば、旗手ではなく、三笘のようなドリブラーを投入すべきだったと本田氏【Getty Images】

 もし後半の頭に相馬を代えるなら、俺だったら旗手ではなく三笘(薫)をチョイスした。三笘だったら、あの右サイドバックを退場に追い込むこともできたかもしれない。


 今大会の三笘は出来が読めない部分もあったけど、あのドリブルはやっぱり相手にとって脅威だし、特にこの試合はキレッキレだった。いまさらだけど、準決勝のスペイン戦で、どうして三笘をベンチからも外したのか、そこも疑問だったね。延長戦で三笘が出てきたら、スペインもかなり嫌だったと思うよ。


 ただ、0-3から(78分に)三笘が1点返した後も、まだ何度かチャンスはあったよね。三笘にも、同じく途中出場の上田(綺世)にも。こういったメダルやタイトルの懸かった試合の土壇場で、もうひとつ決められるかどうかっていうのは、今後の課題なんじゃないかな。上田もボールの受け方やターンまでは完璧だったんだけどね。


 その意味で言うと、1トップで先発した林(大地)はどうなのかな。相変わらずボールが収まらないし、収まらないから出し手も、より確率の高い方のパスコースを選択する。クサビを入れても、きちんと返ってきたためしがないからね。確かに前線からのプレスなど守備の貢献度は高いよ。でも、果たしてこのレベルにふさわしいストライカーなのかな。俺なら、後半の頭から上田に代えていただろうね。


 ベンチに誰を置いて、ビハインドの状況で誰を使い、どうやって点を取るか。決勝トーナメントに入ってからの3試合については、森保(一)監督の采配に、ちょっと疑問が残ったかな。


 結局、負けている試合の残り5分にDFの吉田を前線に上げてって、いつの時代からやってるんだって話だよね。そこは上田でもいいわけじゃない? 高さもあるし。そもそも、相手DFも必死だから、誰を上げても完全に競り勝てることなんてないんだよね。大事なのは、セカンドボールをいかにして拾うかで、そのあたりの戦術は、もうちょっと考えた方がいい。


 とはいえ、今回の東京五輪代表はとても良いチームだったし、メダルを逃したとはいえ収穫も少なくなかった。何より、U-24の選手たちが経験豊富なオーバーエイジの3人とコミュニケーションを取りながら、計6試合を戦えた意味は大きいよ。


 試合の流れをどう読むのか、1点の重みとはどういうことなのか、経験として学べたんじゃないかな。味方が汚いファウルで削られたら、パフォーマンスでもいいから相手に突っかかっていくとか、チームの一員としての振る舞い方とかもね。ドライな若い世代の選手たちも、相当メンタルを鍛えられたと思うよ。


 試合後、久保(建英)が泣きじゃくっていたけど、彼と堂安(律)はこれから日本を背負って立っていく選手だから、精神的にも肉体的にも、もっと強くなってもらわなくちゃいけない。この悔しさを、今度はフル代表での戦いにぶつけてほしいね。


(企画構成:YOJI-GEN)

本田泰人(ほんだ・やすと)

1969年6月25日生まれ、福岡県北九州市出身。帝京高校、本田技研(現・Honda FC)を経て、92年に鹿島アントラーズに加入。高い守備能力を誇るボランチとして、また統率力抜群のキャプテンとして、チームに数々のタイトルをもたらした。95年10月24日のサウジアラビア戦でデビューした日本代表では、通算29試合・1得点。2006年の現役引退後は、鹿島のアドバイザーやJFAアンバサダー、サッカー解説者など、多方面で活躍する。

吉田治良

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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