覚悟を決めたフクヒロペアが五輪で見せた、誰にもできない「当たり前」のすごみ

平野貴也

東京五輪で優勝候補に挙げられたフクヒロペアだったが、準々決勝で敗退。しかしそのプレーぶりは、勝負を超越していた 【Getty Images】

 何年か前、アスリートと食事をする機会があった。勝つために、あるいは応援されるために、チームや選手はどうするべきか。そんな話をしている最中、失礼なことを言ってしまった。
「それは、当たり前なのでは?」
 彼は笑っていたが、その後の言葉は、ずっと私の頭に残っている。
「でも、当たり前のことを当たり前にやるのが、一番難しいからね」

 アスリートに話を聞けば、似たような言葉に多く触れる。最後まで絶対に諦めない、挑戦者の気持ちを忘れない、自分の力を出し切る、自分らしいプレーを見せたい、平常心で臨みたい……。五輪という大舞台に臨む選手たちも同じような言葉を言っている。どれも当たり前のことのように聞こえるが、いずれも実行するのは容易でない。

 東京五輪バドミントン競技の女子ダブルスは、29日に準々決勝を行い、福島由紀/廣田彩花(丸杉Bluvic)は、チェン・チンチェン/ジァ・イーファン(中国)に1-2で敗れ、ベスト8で大会を終えた。福島/廣田は2018年、19年の世界選手権銀メダリスト。コロナ禍でBWF(世界バドミントン連盟)ワールドツアーが中断期間に入る直前に行われた(つまり、東京五輪前にトップ選手が集った最後の大会である)2020年全英オープンで優勝を飾っている。現在の世界ランクは1位。紛れもなく、優勝候補だった。

廣田が右ヒザ負傷も出場を決意し、覚悟を決めた

廣田の負傷を抱えながらも、覚悟が伝わってくるプレーを見せたフクヒロペア 【Getty Images】

 福島/廣田の持ち味といえば、2人が横並びになった守備陣形で相手の攻撃を跳ね返し、相手の返球に応じて、自在に前後左右を入れ替わって攻撃に移る高速ローテーション。しかし、それは望むべくもなかった。大会直前の6月に行われた日本代表合宿の際、廣田が右足のヒザを負傷。一時は欠場を考えなければならないほどだったという。サポーターという言葉ではイメージできないほどにがっしりとした、プロテクターのような装具をヒザに巻いて出てきた廣田の姿は、痛々しかった。予選ラウンドを2勝1敗の2位で通過したが、本来フットワークの良い廣田の動きが、格段に鈍い。廣田が前衛に入り、福島が近い距離でサポートしながら、全範囲をカバーする。そんな戦い方に変わっていた。

 準々決勝の相手は、通算対戦成績で9勝7敗と競っているライバルの中国ペア。相手が様子を見ていた第1ゲームを奪ったが、第2ゲームに入ると、中国ペアがギアを上げてきた。動きを制限された状態で立ち向かうのは、はっきり言って無理があった。ケガをしている廣田が強打の的になる。カバーをするために福島が近づくと、今度は廣田のいないスペースに球を散らされ、福島が延々と走らされる。福島が動かされて空いたスペースは、廣田が普段からは想像できない、ぎこちない動きでカバーする。前から後ろに動かされた廣田は、左足に重心をかけて右足を浮かせるような体勢から、強引に腕を振って球を返した。球は飛ぶが、力感はない。3ゲーム目の6-12。福島は右から左へ全力で走り、シャトルの落下点で球筋に対して強引に身体を合わせてラケットを振り、返球した。普段は見せない、崩れたフォームだったが、超人的な動きだった。これしかできないなら、これをやり切るだけ。そんな覚悟が伝わってくるプレーを見せたが、相手の強打がネットイン。無情だ。心が折れるという表現がふさわしい場面だが、2人は互いに次の一球を頑張ろうと励まして、またラケットを構える。何か勝負を超越したものを見たように思えた。

 驚異的なカバーを見せていた福島は、試合後に「廣田が動ける範囲がやっぱり狭くなってしまっている。確かに、自分の範囲が広くなるなとは感じていましたけど、廣田がヒザをケガしてすぐ出場するというのを決めてからは、それは当たり前だと思って、特にこれをやっていこうというよりも、廣田が取れないところを自分が取るっていう気持ちは、絶対、諦めないで自分が追おうと思っていて、それは覚悟して練習していました」と話した。ペアなら、ケガをした仲間の分をカバーするのは当たり前。人生を懸けた大舞台で、諦めないのも当たり前。言葉だけ聞けば、そんなふうにも感じる。しかし、彼女が見せたプレーは、どう見ても当たり前にできるものではなかった。

ライバルもネットを超えてねぎらいの声をかけに

試合終了直後、中国ペアがネットを越えてねぎらいの声をかけ、フクヒロへの敬意を表した 【写真は共同】

 1点を追う、1球を返す。打たれた球に、まずは触る。当たり前の手前、もっと当たり前のところで、世界トップのペアが泥臭く戦っていた。頑張って返球をしても、相手を崩す球出しはできず、次々と強打を浴びた。2人が横並びで守るときは、世界一の壁になる。そんなペアが、ボコボコにやられた。その中で、相手のちょっとしたミスで1点、2点と拾っていった。ただひたすら、次の球に食らいつく。試合後、ヒザに痛みがあったのではないかと聞かれた廣田は、ちょっと間を置くと「そうですね、ありました」と言って笑顔を見せ「でも、最後の最後まで、諦めずにやろうと思っていたので、痛みは忘れていました」と続けた。

 ケガをしたのに、よく頑張ったという話をしたいのではない。ケガを抱えながらプレーすること自体は、美談にしてはならない。選手生命や、あるいは健康の障がいとなる恐れがあり、慎重に判断しなければならない。ただ、コンディションによって戦術を限定され、体力を奪われ、精神を削られ、それでも、やるべき当たり前のことを最後までやり切ったことには、見る者が学ぶべき大きな価値がある。ファイナルゲーム、相手の強打が廣田のラケットを弾き、福島/廣田の初めての五輪は、終わりを告げた。コロナ禍では、試合後のあいさつはネットを挟んで行われるが、中国のペアはネットを越えて2人に近づいた。「リスペクト」と声をかけたという。

「当たり前」のプレーの価値を知るライバルのねぎらいを受け、その優しさと、挑戦が終わってしまった悲しさに包まれ、2人は涙を流してコートを後にした。優勝候補の期待を受けたペアの準々決勝敗退だが、そこに失望感はなかった。福島と廣田が見せた、誰もできない「当たり前」のプレーの凄みが、東京五輪という大舞台のコートに余韻を残していた。
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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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