東京五輪開会式、どのような思いで見たか 変わるアスリートと共に未来を作ろう

平野貴也

華やかな開会式、楽しめる要素はあったが…

23日夜、コロナ禍で開催される東京五輪の開会式が国立競技場で行われた 【写真は共同】

 東京五輪がいよいよ本格的に始まる。それを告知する一大イベント、23日夜に行われた開会式を、皆さんはどのような思いでご覧になっただろうか。

 無観客開催ではあったが、報道陣や一部の関係者は、現地でセレモニーを見届けた。テレビでどのように放映されたのかは見られなかったが、翌朝のニュースを見ると、ダンスやパントマイム、歌、演奏といったパフォーマンスや聖火の点火など、それぞれの要素を切り出し、そのアイデアや魅力を伝えていた。

 たしかに、楽しめる要素はあった。1824台のドローンで夜空に描かれた地球は幻想的で美しく、選手団のコスチュームやパフォーマンスも個性的で楽しかった。現地で見た者としては、選手の行進に先立って踊りを披露して花道を作り出したキャストたちが、セレモニーが終わるまでのとても長い時間、全身を使った表現で各国選手団を歓迎し続けた素晴らしさにも触れておきたい。

 ただ、正直に言えば、ビッグイベントのオープニングを伝える華やかな開会式を、心の底から楽しむことができなかった部分もあった。セレモニーの冒頭に、こんなVTRがあった。

 国際オリンピック委員会のジャック・ロゲ会長(当時)が、封筒から小さなカードを取り出し、ひっくり返す。

「TOKYO 2020」

 発表と同時に沸く歓声。そのシーンを見たとき、心を切られたように苦しかった。東日本大震災から2年が経った2013年夏、2020年の五輪開催地が日本に決まった場面。当時、私も含め、多くの人が「自分が生きているうちに自国で五輪が開催される!」と喜んだ瞬間だ。アスリートは、自国開催で多くの人に競技を見てもらえることを喜び、ファンは、世界最高峰のパフォーマンスを見られる、世界最大規模のお祭りを楽しめる、そんな喜びを感じたはずだ。復興五輪だ、おもてなしだ、レガシーだと東京五輪を契機に、国内の再発展、国際交流の促進、未来に向けたスポーツ文化の醸成といったイメージが語られた。

 しかし、8年後の今、目の前にその熱気は存在しない。メインスタンドには大会関係者や報道陣の姿が散見されたが、バックスタンドはモザイク柄に並んだ椅子がむき出しだ。誰もいない。あの歓声は、誰の声だったか。そう言えば、会場に入る前、周りの騒々しさが少し気になった。誰かが拡声器を通して「五輪を止めろ」と叫んでいた。この落差は、何か。

 もちろん、最も大きな要因は、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の世界的まん延にある。開催の難度は想定外に高くなってしまった。しかし、それだけだろうか。バブル方式で参加者の行動を管理して国民の安全を保障すると言ったが機能せず、国内で有観客試合が行われているにもかかわらず、本大会が無観客開催になる。それらは、対応が難しいといったことよりも、この大会を真の意味で大事にせず、もう得をしないと判断した者の責任放棄のリレーが現場にツケとして回ってきたもののように感じられてならない。望んでいたもの、期待したものではなくなってしまった、そんな違和感が拭えない。

不満がある人もどうかプレーを見てほしい

無観客で行われるが、アスリートには持てる力を出し尽くし、最高のパフォーマンスを見せてほしい 【Getty Images】

 昨年初め、この憎きウイルスの存在が知られ始めて以降、東京五輪は開催の是非をめぐる衝突のステージとして存在し続けている。それは、夢の舞台に憧れ、目指してきたアスリートを確実に苦しめている。

 この数日は、五輪を彩るはずの開会式をめぐって、関係者の過去の不祥事が伝えられ、それに伴う辞任が繰り返されるという出来事があった。おそらく、急ピッチで構成が変更され、パフォーマンスの準備をしてきたキャストたちが困惑した部分もあるだろう。彼らもまた苦しんだのではないか。現場が振り回される。つい、誰が悪いのかと考えがちだが、そもそも、悪い(と見なすことになる)誰かが現れ、スポーツが利用される立場になっていると感じることが多いのは、なぜなのか。


 東京五輪を目指して日本のスポーツ界が進む過程で、各競技界に巣食っていた悪しき問題が白日の下にさらされた。テコンドーやボクシングの協会、レスリングや体操、空手の指導者……。狭い世界に閉じこもって権利が集中し、公益性を無視したルールや習慣が作られ、結果的に主役であるアスリートが納得のいかない立場や振る舞いを強いられている。

 アスリートは、競技に集中すべし。競技以外のことは、分からないし、誰かに任せる。ファンは、ただ楽しむだけ。それは、正しいようで、楽なようで、利用されて振り回されるリスクを大きくはらんでいる。素晴らしい競技会を求めるならば、誰かの手に委ねるのではなく、積極的に関わり、共に作っていく必要がある。そうしなければ、素晴らしい平和の祭典として伝えられてきた最高峰のイベントでさえ、こんなにも振り回される。スポーツの魅力や価値を知る人を、もっと外の世界にも増やしていかなければ、ならない。

 近年、日本のスポーツ界は若い世代から視野を広げ、新しい時代に沿ったものに変化しようとしている。選手がSNSを使って世の中にメッセージを直接伝えることができるようになり、表現方法も身につけるようになった。その動きの広まりによって、指導関連のパワハラに対する指摘、ルールやシステムの不整合への意見など、これまでは現場でしか語られなかった問題に対し、声が挙がるようにもなってきた。

 五輪開催前、サッカー男子主将の吉田麻也が無観客開催の判断に対して再考を求めるメッセージを発したことも、現場が決められたことに従うばかりでなく、その決定に現場を含む多くの意思が参加すべきこと、それを求める表現の方法や自由があることを知らしめてくれるものだ。誰かの勇気ある行動が、また誰かの勇気を呼び起こす。

 今大会に出場するアスリートの中からは、将来の日本スポーツ界を変えていくシンボルになる選手も出てくるだろう。五輪開催の是非が問われる中、アスリートが「スポーツが持つ力」というような表現を使うようになり、それは何かと考える機会も増えた。無観客というスポーツが持つ力の要素を大きく削り取られた厳しい環境でも、選手はプレーで表現しようとしている。

 前例のないコロナ禍、多くの制限が課せられ、普通ではない大会だ。それでも、アスリートには、可能な限り最高のパフォーマンスを見せてほしい。そして、五輪開催そのものに不満がある人、開催方式に不満がある人もどうかプレーを見てほしい。いきなり全部を肯定、称賛なんてウソは必要ない。でも、嘆いたり、不平や不満を感じたりするだけでなく、その不満をともに解消していく仲間、これからの日本のスポーツ界を作っていく原動力となる人たちの戦いぶりを見てほしい。

 与えられるレガシー(遺物)は存在しなくても、ともに作っていくことはできるはずだ。
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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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