長友佑都が抱える危機感と揺るがない自信 すべては22年W杯から逆算して決める

西川結城

アジア最終予選は圧倒しないといけない

2008年から10年以上、日本代表に選ばれ続けている長友は言う。これまでの代表チームの中で今が最も成熟していると 【写真:松尾/アフロスポーツ】

――ここからは日本代表の話についてお伺いします。実際に6月の代表戦でも“サッカー脳”が現れているプレーがありました。例えば、予測の鋭さ。6月3日の日本代表対U-24日本代表戦では、若い選手が勢いよく縦方向に来るなかで、読みを生かしてパスが出てきたところで奪い取るプレーが印象的でした。

 ピッチの中には流れがあって、その流れに乗っていれば予測はできるものです。逆にボールだけにとらわれてしまうと、周りの状況が把握できなくなり、予測ができない。いい読みの守備も、いい攻撃の位置取りも、流れを読んで把握することがすべてです。サッカーは、いかにボールにとらわれないかだと思います。さらに、目の前の状況を事前にしっかり把握できている選手がトッププレーヤーです。

 例えば、敵がサイドチェンジをする場面でも、事前に相手のプレー意識を読み取ることができるかが大事になってきます。動作を見て動くのではなく、試合の流れと意識を読み解くようになると、予測が鋭くなったように見え、一歩前に出るスピードが速くなったように見えます。

――あらためて、30代中盤で“ニュー長友”を見せつけているあたりが興味深いです。

 来年には自分にとって4度目の出場の懸かったW杯があります。新たな自分を見せていかないと、そこでの成功はないと理解しているからです。新しい長友を見せないと、いまの代表のサバイバルには生き残れないと自覚しています。

――そのW杯出場に向けたアジア最終予選の組み合わせが決定しました。オーストラリアやサウジアラビアは前回の最終予選でも同組でした(その他に今予選は中国、オマーン、ベトナムが同組)。

 もう、対戦相手はどこでもいいというわけではないですが、本大会でベスト8以上を目指すためにも、このアジア予選は圧倒して勝たないといけないです。サッカーは相対的な競技なのでもちろん敵の分析は重要ですが、まずは相手どうこうよりも自分たちが戦いながら、どうレベルアップしていけるかにフォーカスしていきたいです。

――昨年の10月、11月の欧州遠征(長友は10月は体調不良により不参加)から今年の3月シリーズ、そして5月、6月シリーズと、森保ジャパンは対戦相手のレベルの高低差がありながらも強度もテンションも落とすことなくプレーできていました。

 どんな対戦相手であれ、自分たちがやるべきレベルのプレーはなんなのか。それを落とすことなく高いレベルで維持していくという意識は、過去の代表と比べて明らかに変化した部分だと思います。常にW杯本大会などの厳しい戦いをイメージして、力を抜かずに戦えていると感じます。

――「着実にチームは強くなっている」という長友選手の言葉も耳に残っています。これが勢いよくプレーしている若手ではなく、過去にW杯で悔しい敗戦も経験してきたベテランから出てきた言葉ということにも意味があります。

 僕は過去の経験からも、簡単には「自分たちは強い」とは言いません。でも、あの言葉は素直に出てきたものでした。08年から日本代表でプレーしてきましたが、いまのチームが一番成熟していて、年齢バランスも取れています。もちろん、最終予選やW杯といった1試合の重みがズシリとくるゲームで、確実に結果を積み重ねていけるかどうかはまだわかりません。ただ、10年以上日本代表にいて感じるのは、このチームは確実に強くなっているということです。

――森保ジャパンは強度やインテンシティといったいまのサッカーの常識を高い水準で発揮しようとしています。過去を見ていくと、アジア予選とW杯本大会では日本の立ち位置(アジアでは強者、W杯では弱者)が変わり、戦い方も変化していくところがありました。現在の森保ジャパンの方向性は予選からW杯にそのままスライドしていけそうでしょうか?

 僕は変える必要はないと思っています。そのぐらいの基盤やベースをしっかり作れていると、いまの日本代表には感じます。最終予選だろうがW杯だろうが、このチームは対戦相手によって戦い方がブレることはないです。どの相手にも強度高く戦い、賢く攻めていく。速攻や遅攻どちらかとかではなく、両方を駆使して戦っていけると思います。

憧れのサネッティに少しでも近づきたい

ロシアW杯後、すぐに4年後も目指すと宣言した長友だったが、さすがに26年のW杯は……。だが、何が起こるかわからないとも 【スポーツナビ】

――長友選手にとって18年ロシアW杯は「自分にとって一番印象に残る大会」と話していました。あれから3年が経過し、日本代表はどう変化してきていますか?

 何より、戦力の層が厚くなっています。これも、過去の日本代表の中で一番充実していると感じます。森保(一)監督が就任以降、多くの選手を起用してきた効果や成果がここに来て出ています。みんなで成長して、みんなでレギュラー争いをする。同じポジションにライバルが2人どころか3人以上いるところもあります。東京五輪が終わってU-24代表のメンバーがA代表に本格的に入ってきたら、またメンバー構成も変わるでしょう。少しパフォーマンスが落ちるとすぐに替えられる。これがいまの森保ジャパンです。

――過去には、長友選手はインテルに、本田圭佑選手がミラン、香川真司選手がドルトムントやマンチェスター・ユナイテッドにいました。いまの海外組よりもビッグクラブに複数の日本人選手がいた時代です。当時の高揚感は現在の海外組や日本代表にはないかもしれないですが、一方で層が厚くなったと長友選手は話します。以前と現在をどう比較しますか?

 特にザックジャパンの時代は、みんなビッグクラブでプレーしていたのは確かですが、日本代表自体はメンバーが固定されていたと思います。主力が出られなくなったとき、チーム全体の戦力が低下してしまったのも事実です。パッと代わりに入ってきた選手がチームの戦いに馴染めず、浮いてしまったこともありました。

 でも、いまの代表は、誰が出ても違和感なく同じ意識でプレーができるチームです。そこが大きな違いで、いまレギュラーと目されている選手たちがこのあと最終予選やW杯で試合に出られる保証は一切ないです。それは、次に控えている選手たちが入ると、レベルが落ちるという次元のチームではないからです。落ちないどころか、新たな化学反応でレベルが上がる可能性だってあります。いまの日本はそれぐらいのポテンシャルがある選手層だと思います。

――だからこそ、常に長友選手も「安泰ではない」と。

 もちろんです。安泰なんてまったく思っていないですし、五輪で活躍した選手がどんどん僕らを突き上げてきます。危機感が常にあります。ただ危機感とともに、大きな自信もあります。この年齢になっても自分は新たな武器を備えようと成長と努力を続けています。僕が常に飽くなき姿勢でいるのは、こうしたことが理由です。

――次の移籍先も注目されています。W杯に向けたシーズンなので大事な選択にもなってきます。

 自分にとって厳しい環境でプレーすることは追い求めたいです。試合に出ることは大事なのでこだわりたいですが、一番重要なのは来年のW杯にベストな状態の自分でいることです。もちろん、最終予選を勝ち抜かないといけないですが、目の前の成功よりも成長することを考えないと、1年後の成功は勝ち取れないです。今回も成長するための場所を選ぶ、そのためにはラクな環境ではなく厳しいところを選択する、ということだと思います。

――プレーでも生き方でも、最近は「先を見据える」という言葉を大切にしているそうですね。

 いろんな経験をさせていただいて、何かを見つめるうえで余裕も出てきたところはあります。若いときは目の前のことにガムシャラになるだけでしたが、いまは未来の自分がどうありたいのかを常に考えています。現時点であれば、来年のW杯にどんな自分で挑むのか。そこから逆算してやるべきことを決めています。その意味でも「先を見据える」ことの大切さを感じます。

――長友選手は元アルゼンチン代表でインテルのレジェンドでもあるハビエル・サネッティを尊敬し、長くW杯に挑戦する理由も、彼の背中を追っているところがあると思います。調べると、サネッティはW杯に3大会出場なので、来年のW杯に出場すれば長友選手は憧れの存在を超えることになります。

 3大会といっても、彼は強豪アルゼンチン代表ですからね(笑)。サネッティを超えるなんてことは、僕には一生無理でしょうね……でも、「追いつけ追い越せ」の気持ちは、僕が現役であり続ける限りずっと持っていたいです。彼のような偉大な人間にもなりたいです。

――ちなみにサネッティは40歳まで現役でプレーしました。長友選手が40歳までプレーした場合、26年に5度目のW杯出場も目指せるということになります(笑)。

 いや〜「先を見据える」と言っておきながら、そこは全然見えていなかったですね(笑)。いまは来年の4度目を目指すのに精いっぱいです。ただロシアW杯のときも「僕はこの大会で最後だ」と思っていたのに、ベスト16のベルギー戦で負けた直後のインタビューで「次目指します」と言っていましたからね。でも、さすがに5度目に関しては……あのときのように感情任せで発言はできないです。ただ、何が起こるかはわかりませんよね(笑)。

【スポーツナビ】

長友佑都(ながとも・ゆうと)
1986年9月12日生まれ、愛媛県西条市出身。東福岡高校から明治大学に進学し、大学在籍時にFC東京とプロ契約を結ぶ。2010年7月にはイタリアのチェゼーナに移籍。以降、インテル、ガラタサライ、マルセイユでプレーした。日本代表デビューは08年5月のコートジボワール戦。10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会、18年ロシア大会と、3度のW杯に出場した日本代表不動の左サイドバックだ。

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著者プロフィール

サッカー専門新聞『EL GOLAZO』を発行する(株)スクワッドの記者兼事業開発部統括マネージャー。名古屋グランパス担当時代は、本田圭佑や吉田麻也を若い時代から取材する機会に恵まれる。その後川崎フロンターレ、FC東京、日本代表担当を歴任。その他に『Number』や新聞各紙にも寄稿してきた。現在は『EL GOLAZO』の事業コンテンツ制作や営業施策に関わる。

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