もっともっと上手くなりたい なでしこジャパン・岩渕真奈のチャレンジ

【Carlos Pena/ザ・プレーヤーズ・トリビューン ジャパン】

 コロナ禍で、人生二度目の海外移籍。
 私はいま、イングランドのアストン・ヴィラでプレーしています。

「夏に東京を控えているのに、無謀な挑戦なんじゃないか」と、周りから言われました。「世界的にこんな大変な時期なのに、海外にわざわざ行くなんて」と言われたりもしました。でも、私はやっぱり挑戦が好き。チャンスがあるのだったら、知らない世界に飛び込んだほうが絶対に楽しいから、成長できるから。そう思って、自分の新たな可能性を信じてヴィラでのプレーを選択しました。そしていま、毎日をワクワクした気持ちで過ごせています。

【Naomi Baker/Getty Images】

 ヴィラに来て3カ月。最初は全然知らない世界に飛び込んじゃったと感じました。サッカーはもちろん言語もそうだし、いまでもいろんな意味でその思いは変わりません。ただ生活に関しては、なかなか現地の雰囲気を感じられずにいます。コロナの影響で、イギリスはロックダウンをしているから、チームメイトとお茶をしようにもカフェは開いていないし、クラブハウスでおしゃべりすることもできません。午前に練習をして、日によっては午後も練習をして、それ以外はずっと家にいます。本当のイギリスの日常を知らないから、いまの非日常に落胆することもないし、ロックダウンが解除されてからの生活を想像すると楽しい気持ちになります。

 初日の練習で「私ってこんなにできなかったの? 環境が変わるとこんなにできないの?」って思いました。ここの人たちはみんな、スピードもパワーも単純にすごい。いままでだったらトラップして相手との間合いを確認、「オーケー、さあいくぞ!」という私なりのタイミングがありました。でも、スピードとパワーがあって突っ込むことが大好きな彼女たちはそんなのお構いなし。バチーンって突っ込んでくる。同じヨーロッパとはいえ、イギリスとドイツのサッカーはまたちょっと違う。ドイツのときは、いまほどフィジカルやスピードやパワーの差は感じなくて、一緒に考えながらサッカーするっていう、わりと戦術的な感じでした。だけどいまヴィラでは、ゴールラインからゴールラインまでダッシュする練習メニューで、私はいつも圧倒的に最下位になります。毎回「マナ頑張って!!」って、先に走り終えた仲間に応援されてしまう。私といい勝負をするのは、チームメイトじゃなくて、一緒に走っている監督だったりします(笑)。

優勝チームの一員だった過去じゃなくて、いまのプレーを見て評価してほしい

 ヴィラへの移籍前に、他クラブからのオファーも正直ありました。

「W杯優勝経験をいかしてほしい」

 でもそれは、結構いやで、未来に進む自分にとって心地の良い言葉に聞こえませんでした。確かに、優勝した事実はいい経験だと思うけど、もう10年も前の話。しかもチームは優勝したけど、私自身について振り返ってみたら、貢献できたというほどの自負もない。優勝チームの一員だった過去じゃなくて、いまのプレーを見て評価してほしい。そんな強い想いがありました。ヴィラは入団交渉のミーティングで「このシーンだったら、マナにはこうプレーをしてほしい」とか「フォワードがこういう風に裏に引っ張ったら、ここに入ってほしい」とか、具体的な説明をしてくれました。私の持ち味を理解してくれているなと思いました。それに、1部に昇格したばかりのチームなので、そこでチームを助けられる存在になるというのも、自分が成長できる大切なモチベーションだと感じたのでヴィラへの入団を決めました。

 実際に試合では、ボールを持ったらまず「マナを探せ」がみんなの合言葉になっています。
 だからもう、自分が関わっていないプレーでもあちこちから「マナ! マナ!」ってうるさいくらいです。英語が完璧にわかるわけではないけれど、それでも期待されているのをひしひしと感じます。それで、改めて“いまの自分を必要としてくれている”んだと気づかされました。

 いま、ヴィラには1部に残留するという明確な目標があります。そのためには、2013年に移籍したドイツのホッフェンハイムでの経験もヒントになる。ホッフェンハイムは当時2部で、1部昇格を目標にしていました。無事に昇格してからは、残留が目標になり、1部では私の調子が良ければ勝つ、悪ければ負けるっていうチームでした。日本では、そこまで中心的な存在としてプレーしたことがなかったから、自分に責任がかかるのは重圧でもあり、でもとても大きな経験と財産になりました。ヴィラが私に求めている役割もホッフェンハイムと似ていて、発展途上のチームで、チームを助けられる存在になること。それができれば、さらなる自分の成長にもつながると信じています。

【Masashi Hara/Getty Images】

 チャレンジはいつでも、私の未来につながっている、本当にそう思います。サッカー人生を振り返ると、悩んだり苦しんだりした時期もありました。でもすべてがいい経験で、無駄なことは何ひとつなかったって思えます。すべての経験がいまのヴィラでのチャレンジにつながっていると断言できます。

 その中でもターニングポイントになったのは、2016年リオ五輪のアジア最終予選でした。前年のW杯準優勝メンバーがほとんど残っていて、オリンピック優勝が期待されていました。日本開催の大きなアドバンテージがあったにもかかわらず、まさかの予選敗退でリオへの切符を逃しました。私は3試合でそれぞれ1点ずつ取って貢献できた実感はあったけど、それでもチームが負けたという事実は変わらない。お世話になっていた大好きな人たちとの代表チームは、リオ五輪を迎えるまでもなく終わりになってしまいました。

 背中を追い続けてきた先輩たちがいなくなり、ようやく気づくことができました。これからは、もう自分が先頭に立っていかなきゃって。そんな強い思いを持ってやるようになれたキッカケになりました。予選敗退だから決していいイメージはないけど、自分にとっては大きく意識が変わることになった大会だと思います。

 その後、東京オリンピックを目指して、2017年の秋から昨年いっぱいまでプレーしたINAC神戸でも多くのモノを得ました。まずなによりコンディションが安定するようになりました。それに、新しい環境でのプレーはとても新鮮でした。日本のチームは中学のときに入団したメニーナから昇格して入ったベレーザしか知りませんでした。このクラブは多くの日本代表を輩出してきた歴史がある。ベレーザ出身者同士はあうんの呼吸で分かり合えることが多かったりする。でも、そのときに考えていたことや身につけたことが、INACには合わないかなと思ってめちゃめちゃ悩んだりもしました。

 それを乗り越えられたのは、その前にドイツでホッフェンハイムとバイエルン・ミュンヘンでプレーした経験があったからかなと思います。その4年半の間に『意見を伝えること』と『意見を聞くこと』、その両方の大切さを学びました。やっぱりどこへ行っても必要なのは、人と人とのコミュニケーション。ドイツに行った当初はまず言葉がわからなくて、何も伝えられないところから始まりました。徐々に意見を言えるようになると、それまで分かり合えなかった選手も、いろいろ考えているんだなって思えました。もちろん、もっと若い10代のころだって、アンダーの代表では自分が軸になってやっていかなきゃと思っていたし、意見を伝えていました。でも、ドイツに行って、日本に戻って、という経験を続ける中で“話すこと”、つまり対話が本当に大事なんだって改めて感じました。

 日本国内での移籍だったら気づけなかったんじゃないかなと思います。自分の伝えることは伝える、だからプレーでも示して引っ張っていく、ということに気づけたのはやっぱり海外を経験できたからこそなんだと思います。INAC在籍中には、中盤でもプレーするようになったりして、最後の年はキャプテンも任せてもらえるようになって、さらに成長させてもらったと思います。

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著者プロフィール

ザ・プレーヤーズ・トリビューン(The Players' Tribune/TPT)は元ニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーターによって設立され、グローバル展開をしている新たな形のスポーツメディアです。第三者のフィルターを介することなく、世界中のアスリート自らが言葉を発信して、大切なストーリーをファンと共有することを特長としています。TPTでは、インパクトのある文章や対談、ドキュメンタリー映像、音声などを通じて一人称で語りかけ、新たなスポーツの魅力と視点を提供します。

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