五輪代表・新谷仁美が本当に伝えたいこと 女性の体と、自分自身の体験談

田中夕子

伝えたいのは「競技面以外のこと」

1万メートルで東京五輪代表に内定している新谷仁美。ただ、伝えたいのは競技面以外のことだと主張する 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 歯に衣着せぬ、とはまさにこの人のことだ。

 昨年12月の日本選手権1万メートルで、実に18年ぶりとなる30分20秒44の日本新記録をたたき出し、東京五輪の出場を決めた。同年1月にはハーフマラソンの日本記録も打ち立て、日本陸上競技連盟がその年最も顕著な活躍を見せた選手に送る「アスリート・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、名実共に日本陸上界の「顔」と言うべき存在なのだが、むしろ伝えたいのは競技面とは別のこと。新谷仁美はそう語る。

「正直、競技面に関しては特に変わらないと思っているんです。フォームや走り方が変わったということもないし、取り上げていただくとしたら記録更新ぐらい。むしろ今までの経歴はウィキペディアとか見ていただけば分かると思うし(笑)。それよりも身体や試合までのコンディショニング、それだけでも女性と男性は違うし、同じ女性でも1人1人違う。そっちのほうがずっと大事だし、生理のこと1つをとっても、『こういう症状があるのか』『こういう思いをしているんだ』と私の経験談から伝えられることもあると思ったので、30歳になったのを節目にTwitterで発信し始めたんです」

 2020年1月31日。新谷は自身のTwitterに自身の経験談と生理について、長文を記した。

 女性にとって生理は不可欠で、本来ならばその必要性をあえて声高に訴える必要などない。だがスポーツの現場では時に「生理=悪」と捉えられることもある風潮が未だはびこり、指導者だけでなく選手自身も「生理は邪魔」と軽視し、無月経になってもその重要性に気づくどころか「生理が止まるまで追い込んだ」と誇らしげに思う選手もいる。それがどれだけ誤った認識か伝えたい。きっかけは、自身の経験の中にあった。

モスクワでの後悔と、社会人生活で得た新たな気付き

13年の世界陸上では5位入賞。ただ、この時の取り組みは「間違いだった」と語る 【写真:ロイター/アフロ】

 2013年8月。ロシア・モスクワで開催された世界選手権女子1万メートル決勝で、新谷は自己ベストを更新する30分56秒70という好タイムで5位入賞を果たした。自身でも「最大に結果が出た瞬間だった」と振り返るように、アスリートとしては誇るべき戦績であるのだが、当時の新谷は身長165センチながら体重は40キロ。体脂肪はわずか3%しかなかった。

「当時の写真を見れば、誰が見てもガリガリです。でもあの結果だけを見れば『新谷はこれだけ痩せていたから結果が出るんだ』と思わせ、大きく勘違いされる原因を作ってしまった。あの結果は確かに誇らしいもので、一度現役を離れてもこの世界に戻ることができたきっかけでもあります。でも、自分にとっては唯一後悔することで、消さなきゃいけない過去。新しくアップデートしていかなきゃいけない、と常に強く思い続けてきました」

 速く走るためには体重が軽いほうがいいと思っていたのも事実だ。かかとのケガが重なったこともあり、痛みを軽減させるために減量した結果でもあるのだが、いくら競技のためとはいえ、極限まで絞れば当然身体は悲鳴を上げる。

 あるのが当たり前だった生理が止まり、新谷が感じたのは恐怖だった、と振り返る。

「家族のおかげで、女性にとって生理が必要で大切なものだという認識はあって、実際(初潮が来た時も)夢にまで見た生理が来た、と嬉しかったんです。でも無月経になってしまって、あるべきものが来ない。それが私の中ではものすごく恐怖で、いつも寝る前に『明日の朝起きたら生理が来ていますように』と祈っていたんです。その思いが強すぎて、生理が来た夢を見て、『やった!』と思って跳び起きてトイレに行ったら違って、落胆したこともありました」

 世界陸上翌年の14年、新谷は競技引退を発表した。一般企業の事務職に就き、規則正しい毎日を過ごすうち、生理も正常に戻った。そして、競技から離れた5年という長い時間を通して、新たな気づきがあったと言う。

「それまではスポーツの中の世界しか見えていなかったけれど、一般女性であっても女性スポーツ選手であっても、女性は女性であることに何一つ変わりはないんですよね。症状はもちろん1人1人違うけれど、生理も同じ。女性スポーツ選手が試合に重なると嫌だな、と思うように、一般企業に勤めている女性だって大事な会議に生理が重なって、生理痛があるから嫌だな、と思う人もいます。私が働いていた企業はありがたいことに生理休暇があったのですが、堂々と申告するのを後ろめたいと思う女性もいました。だって、男性からすれば『生理痛なんてただの腹痛なんだから、有休でいいだろ』と思うわけじゃないですか。言いづらさや出しづらさ、そういうところはスポーツ界と変わらないんだ、と改めて感じました」

 競技復帰を果たした18年以降、そんな自身の経験談を発信するたび多くの反響が寄せられる。経験だけでなく知識も加えるべく、コーチやマネージャー、競技生活を共にするスタッフとさまざまな資料を共有し、アップデートを繰り返している。

 生理痛を和らげるために下腹部を冷やさないよう、カイロやホットマットで温めるのも効果的であることなども積極的に発信しているのだが、そのたび少なからず「ピルを飲んでください」という声も寄せられる。ただ、ピルに関してもさまざまな資料や情報を基に学んだ結果、「簡単にピルを飲めばいいとは言い切れない」と分析する。

「ピルは自分に合わないものもあります。そもそも日本で処方できるピルと、海外で処方できるピルは愕然とするぐらい数が違うんです。日本は慎重を期しているから安全で、ドーピングにもかからないのは良さでもあり、誇れることですが、数が限られていれば当然自分に合うものを見つけられる確率も少ないですよね。自分に合うものを探すのはかなり大変なことだから、簡単に『ピルを飲めばいい』とは言えないんです」

 症状が人それぞれ違うように、生理に対する考え方も違って当たり前。何より、1人のアスリートとして結果が求められる以上、月に一度の痛みや出血を「煩わしい」と感じる人がいるのも仕方ないと言いながら、それでも伝え続ける理由。新谷が語気を強めた。

「正直、きれいごと抜きで結果を第一に考えたら生理のことなど気にしていられないのは理解できます。アスリートである以上は、私たちは支援していただいて、お金をいただいているので『生理に当たってしまったので結果が出ませんでした』なんて通用しない。私が言っていることなんて、所詮きれいごとだと思う人もいるだろうけど、それでも生理は絶対に必要なことで、生理があることは絶対マイナスにはならない。それを、自分の走りを通して証言、表現していきたいんです」

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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