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ラグビーセブンズ日本代表・松井千士
92回大会優勝を決めた、涙の逆転トライ

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第92回大会決勝で、常翔学園の優勝に導くトライを決めたのが松井千士だった
第92回大会決勝で、常翔学園の優勝に導くトライを決めたのが松井千士だった【写真は共同】

 いよいよ開幕が間近に迫った全国高校ラグビーフットボール大会、通称“花園”。今回は常翔学園3年時の第92回大会で優勝を果たした、セブンズ日本代表の松井千士に、高校時代の記憶を振り返ってもらう。花園という舞台がいかに高校生を成長させるかを実感する、貴重なインタビューとなった。

ターニングポイントになった2年時の花園

――全国高校ラグビー大会は今年で100回大会を迎えますが、ご自身が出場した高校時代を振り返って、どんな思い出がありますか?

 僕が初めて花園に出場したのは常翔学園の2年生の時(2011年度/第91回大会)で、すごく緊張したことを覚えています。その時は優勝できなかったのですが(準決勝敗退)、3年生では優勝できて、つらい練習をしてきた中で最後に報われてよかったな、と。いろいろな人に恩返しができた、という気持ちでした。


――2年生の時は大会が始まるまで無名の存在でしたが、花園の第3グラウンドで大活躍して、一躍全国区の選手になりました。

 1月1日の長崎北陽台戦(3回戦)が、僕のラグビー人生のターニングポイントでした。あの試合がなかったら、今の自分はないと思います。常翔学園の同い年のメンバーは中学時代にオール大阪など選抜チームに選ばれた選手ばかりで、何の肩書もない僕はなかなか試合に出られませんでした。


 そうした中で高校2年の時にやっとリザーブに入って、たまたま同学年の同じポジションの選手がケガをしたことで初めて先発で出させてもらった試合が、長崎北陽台戦だったんです。そこで3トライを取って、一気にいろいろな人に見てもらえた――という感じですね。


――衝撃的でした。「こんなに速い選手がいるのか」と。

 自分としても、一番“はまった”試合だったと思います。やることが全部うまくいって、すごく楽しかった。


“足が速い”というのはチーム内でも認めてもらっていたんですけど、まだまだ体も細かったですし、走ること以外のプレーはできていなかった。だから当時の自分は、信頼を得ていたかといえば、そうではありませんでした。


――あの試合をきっかけにレギュラーに定着して、一躍全国に名を知られ、最終的にその年の高校日本代表にも選ばれました。

 それまで何の選抜チームにも呼ばれたことがなかったですし、2年生でひとつ上の世代の高校代表に選ばれるなんて、スター選手だけだと思っていましたから。


 同世代で選ばれたのは松田力也や山沢拓也(ともに現・パナソニック)、同じ常翔学園の重一生(現・神戸製鋼)など、もともと名が知られている選手ばかり。先輩たちは僕なんて「誰や?」という感じでした(笑)。


――あの2年生の冬で、どんどん自分が成長したのを実感したのでは?

 ついていくのに精いっぱいでしたけど、一方で自覚が芽生えました。自分もトップの選手たちとプレーしたいと思いましたし、大学、トップリーグ、日本代表を目指したいという気持ちが芽生えたのもその頃でした。


――高校3年生の花園(2012年度/第92回大会)は、見事に優勝を果たします。常翔学園にとっては17年ぶりの優勝でしたが、当時の心境は。

 個性豊かなメンバーがそろっていたチームで、すごくまとまっていたかといえば、そうではなかったかもしれません。でも最後の大会を戦う中で、そうした個性が一気にまとまっていった感じがしますね。花園という大会に、そうさせる力があるのだと思います。


 全国大会で優勝するチームってだいたいチーム力が高いと思うんですけど、僕らは大会前もあまりまとまってはいなかった。花園という舞台が、僕たちをどんどん成長させたくれたという印象です。


――準々決勝では松田主将率いる伏見工業(現・京都工学院)と大接戦を演じました(27-26)。

 1カ月前に練習試合をやったんですけど、50点差くらいで大勝したんです。それで「余裕だろう」と思っていたのですが、野上先生(友一=監督)が前日に、「伏見工業は花園では全然違うチームになるから」と話をされて。

直江光信

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