連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

中学日本一を実現した親子鷹 小4から「別格」だった富樫勇樹

小永吉陽子

父から息子へ、唯一の教えはフローターシュート

父から唯一教わったというフローターは勇樹の大切な武器となっている 【(C)B.LEAGUE】

 我が子に宿る特別なセンスを認めながらも、父は相変わらず部活動で忙しく、息子の指導に関わることは一切なかった。そんな親子が互いに教え合ったと認めるスキルが『フローターシュート』だ。

 勇樹が小4のときだった。たまたま、息子の試合を見る機会があった父は、自分よりも大きな選手と対戦している姿を見て「ドリブルで切り抜けられるのだから、後はシュートが必要だ。フワッと浮かせて打ってみたらどうだ」とアドバイスを送った。対して息子は「その頃はフローターシュートという名前すら知らない頃でしたが、父は小さな僕に大きい選手の上でちょっと浮かせてループをかける技を教えてくれたんです。なるほどと思いましたね」と素直にアドバイスを受け入れている。

 現在のプレーを見ればわかるように、トップスピードで相手を抜きさり、フワリと浮かせたフローターシュートは富樫勇樹の得意技である。

 時は流れ、教えた技をいとも簡単に習得する息子を父が指導するときがやって来た。しかし、ここで息子ははじめて越えなければならないハードルにぶつかることになる。富樫家は本丸中の隣の学区に住んでいたため、学区変更には保護者の承諾が必要だったのだ。息子としては「中3のときに地元で全中があることはわかっていたので、ミニバスの仲間と一緒に日本一を目指したかった」と、すでに強豪になっていた本丸中への進学を希望していたが、父は教員である。学区変更してまで「うちに来い」とは言わなかった。

「勇樹からすれば、父は本丸のコーチだから簡単に了承すると思ったのでしょう。いやいや、それはありえません。本人がどういう意志で本丸に行きたいのか、その思いを伝えに来なければ学区変更は認めません」

 父に思いを切り出せない息子の背中を押したのは、いつも勇樹の思いを聞いていた母の恵子さんだった。父がいつもの晩酌の後にソファで寝落ちし、起きがけの不意打ちを狙う作戦(!?)が功を奏し、「本丸中に行きたい」と伝えることができた。それは、学区変更の書類を提出する期限前日のこと。息子にとっては、生まれて初めて自分から父に意志を伝えた精一杯の行動だった。

 本丸中への進学を認める条件は2つ。「勉強をしっかりやることと、掃除をすること」。中学生として当たり前の本分をまっとうすることは教員としての願いであり、「生活がしっかりしている選手は目標にしっかりと取り組む」というコーチとしてのモットーでもあった。

 木崎中での全中準優勝から10年。「コーチの言うことが絶対」だったトップダウンの指導から、選手の良さを引き出す指導へと変わりつつある頃、勇樹は本丸中に入学した。指導法を変えて手応えが出始めていた2006年のことだった。

(企画構成:バスケットボールキング)

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著者プロフィール

スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者となる。日本代表・トップリーグ・高校生・中学生などオールジャンルにわたってバスケットボールの現場を駆け回り、取材、執筆、本作りまでを手掛ける。

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