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怯まず前へ
服部勇馬と「本気」で挑んだマラソン
東京五輪代表につながる最初の一歩

第8回

2019年9月に行われたMGCで2位に入り、東京五輪マラソン代表に内定している服部勇馬
2019年9月に行われたMGCで2位に入り、東京五輪マラソン代表に内定している服部勇馬【写真は共同】

 2015年の第91回箱根駅伝で青山学院大に負け、悔しさを抱えながらも、頭の中はすぐにリオ五輪に切り替えました。そのくらいでないと、五輪の代表は取れません。


 服部勇馬、服部弾馬、口町亮、櫻岡駿の4人で、奄美大島で特別に合宿を行いました。

 2月には、当時3年生だった勇馬が東京マラソンに出場する予定でした。箱根駅伝の2区で区間賞を取った後だったので、注目を集めていましたが、結局は右のアキレス腱を痛めて欠場しました。


 欠場を決めていたにもかかわらず、記者会見を設けましたが、とてもやりにくいものですし、できればやりたくはないものです。こういった経験を後に活かしてほしいです。


 翌2016年2月の東京マラソンがリオ五輪の選考レースであることを考えれば、その前に一度経験しておきたかったのが本音ですが、ケガはどうにもならないので、1年後を目指して前を向きました。

 2015年度は、キャプテンの勇馬が引っ張るチームでした。

 11月の全日本大学駅伝は、青山学院大が優勝候補筆頭とみられていました。私が就任して以降、2位が4度ありましたが、どうしても勝てなかった大会でした。特に、2011年から4連覇を達成した駒澤大は本当に強かったです。


 私と同じ福島県出身の大先輩である大八木弘明監督は駅伝だけ勝てばいいのではなく、実業団選手と勝負できるようなレベルに上げていかなくてはならないという意識を常に持っておられて、私も大きな影響を受けました。


 この大会では対青山学院大を見据えて先手を取るレースをしたいと考えており、狙い通りに1区の勇馬、2区の弾馬、3区の口町と3連続区間賞でリードしました。5区終了時に並ばれましたが、アンカーでは青山学院大の神野大地選手が万全の状態でなかったとはいえ、上村和生が序盤から攻め、神野選手を早い段階で諦めさせることができたと思います。


 選手1人ひとりがチーム・スローガンである「その1秒をけずりだせ」を胸に刻み、気迫のこもった走りを見せ、初優勝にたどり着きました。

2015年の全日本大学駅伝で初優勝し、胴上げされる酒井監督(代表撮影)
2015年の全日本大学駅伝で初優勝し、胴上げされる酒井監督(代表撮影)【写真は共同】

 それまで優勝に挑みながら届かなかったOBたちのことを思い出しながら、私は優勝インタビューの壇上で感激に浸っていました。


 監督となって出雲駅伝で1度、箱根駅伝で3度優勝しましたが、このときの全日本大学駅伝初優勝はまた違った喜びやいろいろな感情が込み上げてきました。


 3週間前の出雲駅伝ではミスがあって4位に終わりましたが、勇馬を中心に短期間で立て直し、チーム東洋の総合力を発揮してくれました。


 2016年の第92回箱根駅伝で、勇馬は2区で2年続けて区間賞を獲得しました。

 日本人選手の2区での連続区間賞は、早稲田大学OBで、現在は住友電工監督の渡辺康幸さん以来、20年ぶりのことでした。


 ですが、勇馬の場合は箱根駅伝だけでなく、リオ五輪が大きな目標でした。4年に一度の五輪は、私たち指導者にとっても特別なものです。「PDCA」のなかの「P」(計画)が大切であり、五輪に合わせて4年周期で指導プランをまわしてもいいくらい、特別な舞台だと考えています。


 マラソンに本気で挑むのなら、周到な準備が必要です。「来月の大会に出よう」と思って出られるようなものではありません。

酒井俊幸

1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社。全日本実業団駅伝3連覇のメンバーとして貢献。選手引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭をとりながら、同校の陸上部顧問を務めた。2009年より東洋大学陸上競技部長距離部門の監督(現職)に就任。就任1年目でチームを優勝に導くという快挙を達成、箱根駅伝では、優勝3回、準優勝5回、3位2回という成績を達成。

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