連載:「挑戦と葛藤」〜Bリーグ・コロナウイルス対策の舞台裏〜

琉球・木村社長が考える「今、できる事」 “キングスvs.キングス”が1つの答え

大島和人

「やれることをいつも以上にやろう」

「やれることをいつも以上にやろう」との思いから、“キングスvs.キングス”はフルスペックの設営で行った 【スポーツナビ】

――クラブの負担は決して小さくなかったはずです。

 フルスペックで設営すると500万円以上かかってしまうので、簡易バージョンで、チームの様子を情報発信する準備はしていたんです。でも実行委員会が終わった後、夕方にいきなり沖縄へ電話をして「どうせやるつもりだったからフルスペックで準備しよう。やれることをいつも以上にやろう」と伝えて、火曜から動きはじめて土曜に実行しました。

 毎回ああいうことをやるわけではないし、今季一番の試合を届けられない無念さもありました。もちろんファンの落胆もあって、キングスがファンの前から無くなる一日にしちゃいけないと思った。だからできることをなにかやろうと、いつも以上に頑張りました。

「団結の力」と入ったTシャツも全ての椅子にかけました。バスケットLIVEの中継はないから自分たちが制作して、カメラ台数も追加して「もう1台入れてください」とお願いしました。

――普段より増やしたんですか!?

 ベースカメラという中継の定番の固定のアングルはありますが、お客さんの座席からの目線からの映像を増やして、お客さんが会場にいる感覚を少しでも表現して届けたかったので、カメラの台数を無理やり増やしました。僕はもともとNHKスポーツのバスケットのディレクターだったので(笑)。20年前ですが、いろいろ思い出しました。

 あとインタラクティブ(双方向)性も出して、より拡散性のあるTwitterに寄せてやりました。Twitterからもひっきりなしにコメント、メッセージがあふれていました。一緒にいられない時だからこそ、気持ちだけでも一緒にいられる――。それを少しでも表現したいと考えました。
――開催に対する周囲の反応はいかがでしたか?

 火曜日に現場に「やるぞ」と伝えて、翌日沖縄へ戻って選手とチームのスタッフも入れて、私1人対20人くらいで2,30分くらい話したんです。「フルスペックでやりたいんだけど」と言ったら、その時は選手がいい顔をしましたね。

 在籍年数が長い岸本隆一とか、田代直希はすごくいい顔をしていました。実際は2人ともケガで出られないんですが(笑)。それも今までの積み重ねだったんだと感じました。

「全選手のコメントを一人ひとり出そう」と提案して、中継に入れるようにしましたし、公式サイトに掲載したりもしました。これが(もしかしたらシーズン最後という)大きな区切りになるかもしれないから、とにかくやろうと話をして、全員の思いが一つにできたんじゃないかと思います。

 キングスの内輪以外も音響、照明のような外注先の方は、皆さんイベントが自粛で仕事がないんです。このプロジェクトを実行し、仕事があるだけで、すごく元気になったり、感謝されたりする。僕たち自身も守っていかないといけませんが、協力会社さんたちを助けたかったし、とても快く引き受けてくださいました。

――チームだけでなくいろいろな方を巻き込むチャレンジになりましたね。

 公式戦にたとえるなら、第4クォーターへ入る時に25点差で負けていて、もう無理そうだけど、今できる何かをやって状況を覆す――。それが多くの人の心を動かします。諦めない気持ちを、バスケットとは違った形で表現していくことが必要だなと思います。

 今は競技的に1位を決めるより、「Bリーグが何なのか」をリーグ、クラブが一体になって見せていくほうが大切です。このような状況で1位と2位の違いが何なのか、僕にとってあまり重要ではない。世の中に何を伝えられるかを考えていますね。

「ポジティブに、できることをやる」

――他クラブの社長が、3月17日の実行委員会では木村社長の話が印象的だったと振り返っていました。

 実行委員会の時は北海道がとにかく大変で、沖縄は3週間くらい新しい感染者が出ていない状態でした。北海道がダメだったら、沖縄ができるんだったら、できることをやりたいという話をしました。

 逆もあると思うんです。沖縄が台風の被害を受けてリーグ戦ができない、今回の北海道みたいな事態だったとします。僕は「沖縄は離脱しなければいけないけれど、他チームで頑張ってリーグ戦を続けてくれ。盛り上げてくれ。僕らが帰ってくる場所を守ってくれ」と託したい。自分たちの家、帰る場所がしっかりしていないとその先はないからです。そこにみんなの目線を合わせたいなと考えていました。

――今回の状況と違う部分はありますが、2011年3月の東日本大震災後に、bjリーグは仙台89ERSなどいくつかのクラブを除いて再開しました。

 違う部分は改めて言うまでもなくて、読者の方も分かっていると思います。当時を振り返ると今の実行委員会みたいな会で社長が「できない」「やろう」という声に分かれた時、「こういう時だからこそ、できることはやろう」と強く話したのは覚えています。リーグを再開できた1試合目の喜びは大きかったですね。

 僕も終わったあとに選手と一緒に声を張り上げて箱を持って募金活動をして、仙台の助けとなるように、数百万円が集まりました。自分たちが「明日は我が身」となってもおかしくないし、こちらの生命が脅かされているわけではなかったので、何とかしようと考えました。真っ先に仙台と連絡して、志村雄彦(現仙台GM)も(レンタル移籍で)引き受けました。

――最後にファン、ブースターへ伝えたいメッセージをお願いします。

 僕たちはポジティブに、できることをやりたいという気持ちです。一方で、アリーナの換気はもちろんしっかりしていますが、バスケットはインドアで密集して声を出すスポーツです。「本当に復活できるのか?」と不安もあります。そんな今こそ皆さんに支えていただきたいし、僕らは今まで以上に頑張ります。一緒になってまた満員のアリーナが全国で復活するように、「いろいろな意味で力を合わせよう」とお伝えしたいです。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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