簡単ではなかったFC今治JFLの航海 岡田武史、14年ぶりにJの舞台へ<前編>

宇都宮徹壱

昇格というミッションと、勝負に徹したがゆえの課題

駒野友一(左)と橋本英郎。元日本代表2人の加入は非常に大きかった 【宇都宮徹壱】

──ここから、昨シーズンを振り返っていただきたいと思います。19年はJFLも3年目となり、今度こそは昇格しなければならないということで、岡田さんご自身も不退転の決意で臨んだシーズンでした。それもあって、新監督に腹心と言える小野剛さんを選んだと思いますが、小野さんへの評価についてはいかがでしょうか?

 昨年はとにかく昇格することが第一で、スローガンも「コミットメント(約束する)」ということでやっていたので、結果を出してくれたということに対しては満足しています。その一方で勝負に徹するあまり、少しサッカーのスタイルが見えにくくなったという部分はありました。まあ、去年に関しては贅沢を言える状況ではなかったし、しょうがないと思っています。

──岡田メソッドの部分という意味でですか?

 もちろん岡田メソッドは16歳までに落とし込むものであって、トップチームとは直接関係はないんだけど、あまりにもかけ離れてしまうのはまずい。そのあたりについては、小野とも話し合ったんだけど、よく考えたら小野はメソッド作りにはあまり参加していなかったんですよね。それに結果がやっぱり大事ということもあって、致し方なかったかなと思います。

──戦力面では、駒野友一、橋本英郎という大型補強がありました。元日本代表の2人の加入は、昇格に不可欠な要素だったと思います。

 大きかったですね。本当のプロとは何か、まだまだ分かっていない選手が多い中で、彼らが身をもってそれを示してくれました。技術面に関しても、他の選手とは明らかに違っていました。監督と選手との間をつなぐ役割としても、彼らの存在は不可欠でした。

──新監督と新戦力を迎え、開幕までの間はどのようなチーム状態だったのでしょうか?

 開幕までは、まあまあよかったんじゃないかな。ただ、練習試合では前に出て行く意識が高くて、一発ワンタッチでつながったら素晴らしいんだけど、確率的に難しいプレーがすごく多かった。ものすごく高い理想を求めていたんだろうけど、選手たちの技術がついていっていないところがあった気がしました。

──ホーム開幕戦ではHonda FCにも初勝利して、前半戦は9勝5分け1敗(勝ち点32)でした。「これはいける!」という確信みたいなものはありましたか?

 負けは少ないけれど、勝てる試合での引き分けが多いのが気になりましたね。勝ち点32というのは、ある程度は予想の範囲内だったので、そんなに「やった!」という感じではない。何かが悪いというわけでもない。楽観視はできなかったですね。

後半戦に入ると5試合勝利なしと苦しい状況に追い込まれた。岡田会長の胸中は? 【宇都宮徹壱】

──後半戦に入ると、最初の4試合が3分け1敗。その後は連勝した後、初めての3連敗を含む5試合勝利なしという状況に陥りました。要因は何だったと思いますか?

 ウチの攻撃が研究されたのが一番でしょうね。それと夏場になって、守備に回った時にかなり走らされて、疲労がたまってしまったこと。ゲーム終盤に運動量が落ちる試合が続きました。みんなでハードワークしている分、最後までもたなくなる感じは確かにありましたね。

──岡田さんは、どこまで我慢してご覧になっていたんでしょうか?

 今回は俺が口出しするというよりも、木村(孝洋=トップチームグループ長)に判断を委ねていました。おそらく10月27日の奈良クラブ戦に引き分けた後だったと思うんだけど、木村と話した時に「今は我慢の時だと思います」と言われたので、こちらも「分かった」と。その次の(流経大)ドラゴンズ戦では5−0で勝てたんだけど。

──昇格に向けて大きく前進した、11月3日のドラゴンズ戦ですね。それにしても、それまで勝利に見放されていた5試合の間、岡田さんから小野さんに直接的なサジェスチョンはなかったのでしょうか?

 その時はしていないと思います。シーズン始めの頃は、試合ごとにちょっとディスカッションしたことはあったけれど、小野ではなくコーチに聞こえるように独り言を言ったことはありましたね。それもチーム作りに関してではなくて、采配の部分で「こういう問題の時は、こうしたほうがいい」という感じで。

──岡田さんと小野さんとは、かれこれ四半世紀来のお付き合いだったと思いますが、クラブの会長と監督という立場になると、いろいろ気遣いもされますか?

 そりゃあ現場を離れたら、どんな監督に対しても気遣いはしますよ。特に日本人監督なら、なおさらね。僕自身も監督をやっていたときは、周りからいろいろ言われることもありましたけど、でも自分の考えというものがありますからね。

昇格が決まった直後は「来季のこと」に切り替えていた

J3昇格へ導いた小野剛氏。JFAからオファーを受け技術委員に復帰した 【宇都宮徹壱】

──ドラゴンズ戦で久々に勝利して、その1週間後にホームでFCマルヤス岡崎戦を迎えました。この試合にも1−0で勝利しましたが、他会場の結果次第で昇格の条件である4位以内が確定という状況でした。岡田さんご自身、どんな心境だったのでしょうか?

 多少の不安はあったけれど、昇格が決まった時はさすがにホッとしましたね。ただ、スタッフやお客さんが、あんなに喜んだり泣いたりするとは思わなかった。そのあとのホーム最終節でも、あいさつは社長の矢野(将文)に任せて、僕はもう来季のことに頭を切り替えていましたよ。編成のこと、予算のこと、それからスポンサーのこととか。

──この時にはすでに、デロイトトーマツが胸スポンサーでなくなることが決まっていたんでしょうか?

 デロイト トーマツさんとはFC今治がJ3昇格を迎えた節目のタイミングでスポンサーの在り方を見直しされることが決まっていて、ロゴ露出にとどまらないスポンサーアクティベーションの観点から支援していただくこととなっていました。そこで、来年の体制をどうするのかという問題もあったけれど、スポンサーについても考えなければいけないところがありました。 結局、ユニ・チャームさんに決まるわけですけど、それが決まったのが12月28日ですからね。普通、あり得ないですよ(苦笑)。

──小野さんがクラブを離れるにあたり、何か言葉を交わされましたか?

 もちろん。というか(高校サッカー選手権で)今治東の試合を一緒に見ていますから(笑)。実はJFAのほうから「1年で技術委員会に戻してほしい」というオファーはシーズン初期からあったんです。彼自身も悩んでいたみたいですけど、そのほうがお互いにとっていいんじゃないかと思って、送り出しましたね。

──ではもし、JFAからそういったオファーがなかったら、今季も小野さんが指揮を執っていた可能性はあったわけですか?

 ありましたね。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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