コパ・アメリカ2019連載

ベルギーでプレーの幅を広げた植田直通「代表に必ず呼ばれると信じていた」

飯尾篤史

鹿島時代の経験がベルギーで生きた

スタメンから外されてもいつもどおり努力を続け、ポジションを奪還。その背景には鹿島時代の経験があったという 【佐野美樹】

――セルクル・ブルージュで1年間プレーしたなかで、ターニングポイントと言えるような試合は、どれですか?

 いろいろありますね。初めて出た試合(第3節のスタンダール・リエージュ戦)もそうですし。その試合は0−0で終わったんですけど、初めて出場して、格上の相手に対して無失点で抑えたのは、自信になりました。それに、ベルギーリーグはこういうものなのか、と感じられたゲームでもありました。
 シーズン半ばには、途中交代させられて、その後しばらくスタメンから外された時期もあった。本当にいろんな経験をしたので、すごく濃い1年だったなとは思いますね。

――途中交代させられたのは、第25節のクラブ・ブルージュ戦のことですか?

 はい、そうです。

――ウイングバックで起用され、うまくいかなくて代えられて、しばらく出場機会を得られなくなった。その状況を変えるために、どんなトライをしたんですか? 当時はどういう想いで日々トレーニングに励んでいたのでしょう?

 あの試合はブルージュ・ダービーで、もともとセンターバックで出場する予定だったんですけど、前日に監督から「ウイングバックをやってくれ」と。この世界は、言われたポジションでプレーするのは当然なので、やってやるぞ、と思ったんですけど、途中交代されて、しばらく試合からも遠ざかって。
 すごく悔しかったし、不慣れなポジションでしたけど、自分の力不足も感じました。ただ、日々努力していたし、その努力は絶対に間違ってないと思ったので、何も変える必要はないと。いつもどおり続けていれば、また認められる日が来ると信じていましたね。

――鹿島時代にも試合に出られなくなった時期がありましたよね。石井正忠監督の時代に。それを乗り越えた成功体験は今回、拠り所になりましたか?

 それは、ありますね。あのとき、メンバーから外れてすごく悩んだんです。でも、全部やり続けたら、試合にも出られるようになって、優勝まですることができた。あのとき、ブレずにやって乗り越えたという自信があるから、今回もネガティブになることがなかった。鹿島時代の経験が生きましたね。

――ベルギーリーグには豊川雄太選手(オイペン)、遠藤航選手、鎌田大地選手(ともにシント=トロイデン)といったリオ五輪世代の選手が多くプレーしています。彼らとの対戦も刺激になったのでは?

 そうですね。もちろん、チームとして絶対に負けたくないし、特に豊川はポジション的にマッチアップしますから、負けたくなかった。でも、ベルギーの地で、日本人同士がマッチアップするのはなかなかないので、対戦するのが楽しくて。
 プライベートでも彼らと会う機会があって、一緒にご飯を食べたり、日本語で会話したりすれば、それだけでリラックスできる。情報交換したり、話を聞いて参考にしたり。もちろん、刺激も受けています。

早く上のステージに。焦りは今もある

異国の地で切磋琢磨するふたり。大津高、鹿島時代の盟友である豊川(左)に対して「すごく怖い選手になった」と植田は称える 【Getty Images】

――豊川選手に関して言えば、鹿島にいた頃とはプレースタイルも変わり、かなりいやらしいストライカーになってきましたよね。

 豊川のいるオイペンとは2試合戦って、2試合ともマッチアップしたんです。鹿島で途中まで一緒にやっていて、豊川が先に移籍したので、それ以来だったんですけど、おっしゃるとおり、すごく怖い選手になったと感じましたね。
 自分が嫌なところに入ってくるし、クロスが上がれば、点を取れそうなポジションにいる。実際、豊川は少しずつ結果を残しているし、地道にひとりでチャレンジしていて、本当に尊敬できますね。

――ベルギーでは、求めていた経験は積めましたか? 願っていたものは手にできましたか?

 外国人選手と一緒に日々練習したいと、ずっと思っていたんです。日本人と比べれば身体も強いし、コンタクトも激しい。そういう中で日々練習をして力を付けたいなと。そういう意味では1年間ベルギーで揉まれて、自分の実力も上がったと思うし、間違いなく良い経験ができたと思います。
 それに、ベルギーリーグには、強い選手、速い選手、デカい選手がゴロゴロいる。いろいろなチーム、いろいろな選手と対戦して、対応の幅も広がったと思います。上位のチームと対戦すると押し込まれるんですけど、それもまた楽しくて。どう耐えて勝つか。そんな経験ができたのも大きかったですね。

――15年12月にインタビューさせてもらったとき、植田選手は「自分の成長が遅すぎる。焦りしかない」と言っていました。やはり今も焦りしかないのか、それとも、先ほど話したように、自身のキャリアに関しても、最後にひっくり返せばいいという余裕が生まれているのか。いかがでしょう?

 そこに関しては、焦りを持っています。自分ももう若くないし、ベルギーからのステップアップを狙っていますから。

――当時、「将来はプレミアリーグでプレーしたい」と話していました。

 それは今もずっと思っています。もちろん、ベルギーでも良い経験は積めますが、リーグのレベルが高くなれば、もっといろんな経験が積めると思うので、早くそのステージに行きたい。そんな想いを常に持っています。

――コパ・アメリカで活躍すれば、ヨーロッパの移籍市場における評価にもがつながるかもしれません。

 コパ・アメリカはアピールするには絶好の大会ですよね。出場メンバーを見れば、世界の一流選手が集まっている。そういった選手たちと対戦できるのは、幸せなこと。そこで結果を残せば、自分の未来が変わってくると思うし、日本代表のために戦いたいという想いも強い。ベルギーで成長した姿を日本代表で見せたいし、自分の力をすべて出し切りたいと思います。
植田直通(うえだ・なおみち)
1994年10月24日生まれ。熊本県宇土市出身。空中戦には絶対の自信を持つセンターバックで、大津高時代の2011年には中島翔哉、南野拓実らとともにU-17W杯・メキシコ大会に出場した。同高卒業後、鹿島アントラーズに加入。プロ2年目から昌子源とセンターバックを組み、常勝クラブの守備を支えた。16年夏にはリオ五輪に出場。18年夏にはW杯・ロシア大会のメンバー入りするも、出場機会を得られず、帰国直後にベルギーリーグ移籍を発表。セルクル・ブルージュに加入し、28試合に出場した。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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