山崎康晃、DeNAを最後方から見つめ続け チームが苦境の中で自ら課す役割
ルーキーイヤーからDeNAの抑えを担ってきた山崎康晃。今季で5年目を迎えている 【(C)YDB】
一口に5年目と言っても、山崎のキャリアは極めて特殊だ。
ルーキーだった2015年、プロ2試合目の登板(3月31日・広島戦)にして1点リードの9回を任され、初セーブを記録した。以来、クローザーとしてほとんどの期間を過ごし、2軍降格の経験はない。要するに、1軍のチームを言わば最後方から見つめ続けてきた過去4シーズンだったのだ。
山崎は言う。
「4年間ずっといさせてもらっているので、いろんな部分で感じることが多いんです。調子が悪い時、勝ち続けている時。ケガ人が増えて、仲間がいなくなった時。外国人選手が入ってきて、新しいコミュニケーションが必要な時。全部見てきて、『いまの状況はどうなのかな』とか、考えることが多い。それを今年は素直に伝えるようにしています。年間を通してどう戦っていくかということを考えて、必要なタイミングで声をかける。後輩も増えてきましたからね」
若い投手の心に思いをはせる
チームには山崎より若い投手も増えた。彼らの心の中に思いをはせることもしばしば 【(C)YDB】
1度目の機会は開幕早々に訪れた。
4月4日、神宮球場での東京ヤクルト戦の試合前。山崎は、ブルペン陣の面々に向かって話す機会を意図的につくった。前々日、前日と2夜連続でセットアッパーのパットンがつかまって手痛い逆転負けを喫し、4日は大貫がプロ初先発のマウンドに立つ。このタイミングで思いを伝えることに意義があると山崎は感じ、実行に移した。
「このチームでいままでみんなが投げきってこれたのは、誰かの調子が悪い時に、誰かがフォローして、それが当たり前のようにできていたから。いま、厳しい状況にいるけれど、みんなの力を一つにして戦っていくことが、ぼくたちのやるべきことだと思う。今日は大貫が投げる。緊張していると思うし、ブルペン陣でしっかりまとまって、バックアップできるようにしよう」
実際、この日の大貫は3回途中4失点で降板する事態となったが、ブルペン陣が踏ん張った。国吉佑樹、砂田毅樹、三嶋一輝、エスコバーの4人が1失点でバトンをつなぎ、チームを勝利に導いた。
「タイミングは間違っていなかった」と、山崎はうなずく。
リレーの最終走者をアンカーと呼ぶように、クローザーもまた船の錨(いかり)のような存在だ。上空では嵐が吹き荒れ、大波が船を揺るがそうとも、海底に接し、びくともしない鉄のかたまり。
それはきっと、山崎にとっての理想でもある。
ブルペンリーダー離脱の影響
自身を取り巻く環境の変化を「動いている」「動きがある」と幾度も口にする。とりわけブルペンリーダー三上の離脱の影響は大きかったようだ 【(C)YDB】
たとえば、三上朋也の戦線離脱がその一つだ。
ここ数年、ブルペン陣の頼もしきリーダーであり続けてきた三上が出場選手登録を抹消されたのは、4月13日。その影響について、山崎は言う。
「三上さん、『がんばれよ』って一言だけ言い残していきました。それまでは毎日顔を合わせていたし、ロッカーも隣ですから、球場に来ると『そっか、いないんだよな』っていう感じにはなりますね……。いろんな助言をしてくれる存在でもありますし、三上さんが抜けたことは、ぼくにとってはすごく大きかった」
「動き」はなおも重なる。
同14日の広島戦で山崎は2セーブ目を挙げたが、この勝利を最後にチームは長い連敗に突入。クローザーに登板機会はなかなか巡ってこなくなった。24日には、昨シーズン70試合に登板した砂田が抹消された。