連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

イチロー引退へ、長い長い一日の始まり 「3.21」ドキュメント

丹羽政善

同僚ゴードンが流した2度目の涙

イチローを敬愛するゴードン(左)は、最後のスピーチでも近くに寄り添った 【写真提供:シアトル・マリナーズ公式インスタグラム】

 その日からさかのぼること数日前、ディー・ゴードンからお願いをされた。

「イチローのオリックス時代のユニフォームは、手に入らないか?」

 探したが、公式オンラインストアなどでは販売されていない。ネットオークションにはいくつか出品されていたが、新品と思われるものはそれなりに高額だ。

「いくらでも構わない」

 相場が分からず、結局、オリックスの関係者に託すことになったが、ゴードンはその時点で知っていたのである、イチローの引退を。

「いつ知ったか? それは秘密だ」

 ゴードンは昨年5月3日にイチローが選手登録を外れることも事前に聞かされていた。よってその前日の試合で1点を追う9回1死一、二塁でイチローが打席に入ったとき、ネクストバッターズサークルにいた彼は、「これが最後かもしれないと思うと、涙がこみ上げてきた」そうだ。

 3球目、イチローは三塁線に際どい当たりのファウルを放った。

「フェアだと思った」

 思わず体が浮き上がったが、最後は三振に終わった。

「俺の角度からは、入ったように見えたんだけど」

 ひょっとしたら涙でかすみ、よく見えなかったのかもしれない。
 
 彼は、3月21日もやはり、涙を流した。

 8回裏、イチローが万雷の拍手の中でベンチに下がると、大粒の涙が頬を伝った。今度こそ、最後だと知っていた。試合後の選手ラウンジ。選手、関係者全員らを前に、イチローがスピーチをしたときは、そのそばから離れなかった。

元マリナーズ指揮官「友人として」見守る

米メディア向けの会見が行われると、メルビン監督(右端)も駆けつけて見守った 【Getty Images】

 やはりイチロー本人から事前に引退を告げられ、あの日、複雑な思いで指揮を執っていたのがアスレチックスのボブ・メルビン監督だった。

「球史に残る名選手の長いキャリアが終わりを迎えた。彼のことをよく知っている分、余計に悲しかった」

 3月21日の試合後、米メディア向けの会見がマリナーズのブルペンで行われると、ユニフォーム姿のチームメートらが駆けつけて見守ったが、そこには自身の会見を終えたばかりのメルビン監督の姿もあった。

「白いユニフォームを着ていたのは私だけだったから、少し違和感があったけどね(笑)」

 こんな思いから、足を運んだ。

「友人として、友人のために、その場にいたいと思った」

 いつ知ったのか? という問いには、「前日までには、聞いていた」とメルビン監督。
 本人から告げられていたのか? 「そう、本人から」。

 開幕戦前日の19日、赤坂のホテルでレセプションパーティーが開催された。選手、関係者が一堂に会したが、途中、イチローとメルビン監督が会場の隅で話し込む姿があった。ひょっとしたら……。

 なお、開幕第1戦は4回裏、一旦守備についてからイチローは交代し、第2戦は8回裏だったが、そのシナリオは、スコット・サービス監督から事前に聞かされていたそうだ。

「第1戦では数打席の後に下げて、第2戦ではもう少し長めに起用するという話だった。具体的なことではないが、大まかな流れは伝えられていた」

 サービス監督はそうして仁義を切っていたが、メルビン監督に異論があろうはずがなかった。

 2004年のシーズン最終戦を思い出した。当時のマリナーズを率いていたのがメルビン監督だが、2日前に年間最多安打記録を更新していたイチローを9回表途中で交代させた。ライトからダグアウトに戻ってくるとき、消化試合にも関わらず詰めかけた4万5000人を超えるファンがスタンディングオベーションを送っている。

「あれは彼のためであると同時に、ファンのためでもあったけどね」

 メルビン監督はそう振り返ったが、イチローが当時、うれしそうにこう話したのを覚えている。

「監督、ああいうの、うまいよね」

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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