G大阪で「10番」を背負った二川孝広の今 人工芝のグラウンドでボールを追う日々
自分の“立場”を察したG時代の晩年
03年からG大阪で10番を背負って活躍したが、晩年はJ3・G大阪U-23でプレー。複雑な想いを抱いていた 【写真:アフロスポーツ】
ありましたね。もうそういう、なんて言うんですかね。“立場”なんだなというのは感じたし、ここ(G大坂)にいてもどうなんだろうというのは思うようにはなりましたね。
――オーバーエイジが若手の指南役というか、いいお手本に――という期待があったのかどうか。
そのオーバーエイジ枠にしても、トップの試合に出ていない選手が来たりする。ぼくは練習もそっち(U−23)でやっていたので、それはちょっと違いましたね(苦笑)。
――試合数がJ3で重なっていくが、それによってトップに行けるか、というとそうでもない。
そうですね。いても試合に出られるとは限らないし、トップから降りてくる選手が(オーバーエイジで)出ることもあったし、そういう難しさはありましたね。モチベーション的に。
――ただJ3のクラブというだけであれば移籍先として視野に入るでしょうけれど、同じチーム内でU−23に分けられ、昇格にも降格にも関係しないとなると、士気の持っていき方が難しいかもしれないですね。
特にU−23は「優勝を目指す」とか「上を目指す」とか、とにかくチームとして何かを目指すっていう場ではなかったので、勝負どうこうじゃないチームでプレーするということで難しい部分はありました。育成がメインになってくると、ぼくは違うんじゃないかなと。
<後編に続く>
(企画構成:株式会社スリーライト)
※リンク先は外部サイトの場合があります
二川孝広(ふたがわ・たかひろ)
【撮影:熊谷仁男】