MSGへ、新日背負うオカダの誓いと送り出す柴田の想い
見守った柴田との握手
試合後に握手をかわす柴田(左)とオカダ 【写真:SHUHEI YOKOTA】
柴田は17年の3月20日に同所で行われたNJC決勝戦で初優勝。当時のIWGP王者であったオカダと4.9両国国技館でベルトを賭けて戦い、40分近くに及ぶ激闘の末、オカダのレインメーカーに敗れた。試合後、不調を訴えた柴田は救急搬送され、急性硬膜下血腫により手術を受けた。同年8月にファンの前に姿を見せ、「生きてます! 以上!」と力強く宣言。翌18年3月には新設されたロサンゼルス道場のヘッドコーチに就任したが、2年経った現在も、復帰の目処は立っていない。
試合後の優勝インタビューで柴田について尋ねられたオカダは、涙を流し、鼻をすすり上げながら「こういう形で再会ということになりましたけど、勝てよと言ってもらえて、しっかり、柴田さんにも送り出してもらえた」と感極まってコメント。その様子をモニターで見ていた柴田は、「オレは生きてるから安心しろ。泣くな」とエールを送った上で、「いろんなものを背負った上でマディソンで試合をしてほしい。今日でニューヨークに行く理由ができた。約束は守る」と現地に駆けつけることを宣言した。
そう言う柴田自身、辛い過去がある。00年4月、ヤングライオン杯公式戦で対戦した福田雅一さんがリング禍により死去。その翌日もリングに上がった柴田は、試合後、リングを指差して「オレの居場所は、あそこしかねえんだよ!」と絶叫している。それゆえに、柴田は誰よりも「生きている」ことを強く訴えるのだろう。
今のオカダが果たすべきこと。まずは、昨年夏の「G1 CLIMAX」公式戦、そして今年の1.4東京ドームで敗北を喫したジェイへのリベンジとIWGP王座の奪回だ。それから、同い年のSANADAとのライバルストーリーの続きもある。昨年6月にIWGP王座から転落して以来、長らくスランプが続いていたレインメーカーだが、世界という大空を前に、再び翼を広げる時が来た。
ICタイトル戦もMSGで
IWGP以外の動きも見逃せない 【写真:SHUHEI YOKOTA】
IWGPインターコンチネンタル(IC)王者の内藤哲也には、3.10尼崎での1回戦を制した飯伏幸太が挑戦をアピール。MSGでのタイトル戦が電撃決定した。IC王座を「自分の中で最高峰のベルト」と位置づける飯伏は、尊敬する「2人の神」こと棚橋弘至と中邑が大切にしていた至宝をないがしろにする内藤に挑発行為を繰り返し、決戦の舞台にMSGを指名。内藤もこれに応じた。
ブリティッシュヘビー級王者のザック・セイバーJr.は、3.21浜松での準々決勝戦で敗れた棚橋に怒りを爆発。ジャパニーズレッグクラッチホールドでの3カウントという結果に納得がいかないのか、MSGでの決着戦を要求した。
また、NEVER無差別級王者のウィル・オスプレイは、最終戦で急所蹴りからのタイチ式外道クラッチでピンフォールを奪われたタイチとの対戦を受諾。すでにMSGではジェフ・コブとの対戦が決まっていることから、日本でのタイトル戦を提案した。
このNJCをきっかけに、また大きく動き出した新日本マット。「格闘技の殿堂」への進出により、選手も、ファンも、今まで以上に輝きと勢いを増していくだろう。