2020は日本文化を相対化する好機 文化・教育委員会 青柳正規委員長に聞く(前編)

岩本勝暁

都市化に押し流される古来の文化

古来の文化から学ぶことは多い。しかし時代とともに淘汰されているのも現実だ 【写真:築田純】

青柳委員長 ところで先ほどモーリーさんがおっしゃった靴のリサイクルの問題ですけれども、たとえばデザイナーの三宅一生さんは、ペットボトルの再生繊維を使って、「132 5. ISSEY MIYAKE」という一つのブランドを作っています。そこで彼は「よりいいものにしている」という意味で、「リサイクル」ではなく「アップサイクル」という言葉を使っている。そうした点でも、サステナブルな社会というのは、いろいろな分野の人たちの知恵と工夫で広がっていると言えるでしょう。

 その一方で、文化プログラムとしては、中央で行われているお祭りや神楽、あるいは地方に伝わる昔話を拾い上げて、そこにスポットライトを当てることもやっていかなければいけません。組織委員会としても大きな花火を上げる予定ですが、そうした活動の中から多くの人に「私たちがこういう文化の中で500年、1000年を過ごしてきました」ということを認識してほしいと思っています。

モーリー そこにとても重要なものを感じます。というのも、100年ほど前、ロシア帝国の末期には辺境にたくさんの少数民族がいて、それぞれ音階の異なる民謡を持っていました。我々が西洋音楽として聞いているバッハやベートーベンの12音階とは少しズレているんです。ブルガリアン・ヴォイスという歌声を聞いたことがあるでしょうか。独特のハーモニーを奏でるのですが、私がハーバード大学で学んでいた先生の祖父にあたる人物が、こうした伝統民謡が都市化に押し流されて消滅しないように、採譜(民謡など口づてに伝承される歌を楽譜に書き取ること)して守っていたそうです。

 すると1930年代、なんとその方が日本に来て作曲家の伊福部昭さんに師事していたというのです。そして、日本に来た彼が何を言ったかというと、「日本中の村に行って採譜をしなさい。これから消えてしまうから」と。それによって伊福部さんは、日本の珍しい歌を、弟子たちと一緒に五線譜に書き留めたそうです。
 ただ、そういう作業というのは、100年周期で淘汰(とうた)されてしまうものなんです。もちろん限定的に残せるものはありますが、あの時代の楽器や音階、伝承は都市化によってワイプアウトされているんですよね。

青柳委員長 オーストラリアではこんなことがあるそうです。メルボルンなど大都市の公園に行くと、先住民のアボリジニがそこでのんびりと過ごしているんですね。すると、彼らは芝生の上に座る時、落ち葉を2、3枚集めてお尻に敷く。そういう習慣は、都市生活者にはありません。自然を身近に感じながら自分たちの生活に生かしているのだと感じました。

モーリー その発想は「エコロジー」の考え方と同等かもしれませんね。確かに我々は、彼らから自然を大切にするための知恵を学んでいます。プラスチックを出しまくるのではなく、葉っぱをお尻の下に敷く謙虚さがいかに大切か。そこに大きな意義を感じます。

“マジョリティ憑依”を自覚する必要性

オリンピックとパラリンピックを一緒に開催することは、少数者の考え方を理解しようとするひとつの契機となるだろう 【写真:アフロスポーツ】

青柳委員長 言語にも同じことが言えますね。ユネスコが世界の言語のクリアリングハウス(様々な情報をインターネット上で交換する場所)を作っていて、今、世界におよそ3500〜4000の言語があるとしています。それが毎日、10個以上消えているという。つまり、日本にある言語、あるいは方言も消滅する危機にさらされているというわけです。
 中には沖縄の琉球弁も入っています。あれほどロットの大きなところでさえ危険な状態にある。我々はダイバーシティを大切にしようとしているのに、言語のダイバーシティをどんどん失いつつあるんですよね。

モーリー そうなんです。1964年の東京オリンピックが象徴する部分でもあるのですが、道路が津々浦々に敷かれ、カラーテレビがどんどん普及しました。その結果、マスカルチャーやマストランジット、マスメディアが強くなり、「みんなで頑張ろう」という国家としての一体感が生まれた。
 ところが、それは図らずも、少数者の方言や伝承、村落を消滅させる力にもなってしまったんです。そこをどう回復していくかというのは、これからの大きな課題だと思います。

青柳委員長 なぜオリンピックとパラリンピックを一緒に開催するのか、ということにもつながる気がします。世の中には障害のある方がいますが、程度にも差があって、少し悪い人がいれば、サポートがなかったら生活ができない人もいる。
 私は今74歳ですが、あと10年もすれば少しずつ障害も出てくるでしょう。

モーリー そういうことも考えなきゃいけないんですね。

青柳委員長 誰もがそうなるんです。だからこそ、今はたとえ健常な状態でも、障害のある方を見た時に「自分の身にも起こり得る」と考えられる。つまり、少数者の考え方、言い方を変えるならマジョリティと比べた考え方を今から理解しておくと、世界と比べた時に、いかに自分たちがマイノリティであるかを理解できるのだろうと思います。

モーリー まさにその通りです。今、本当に重要なことをおっしゃった。いわゆる“マジョリティ憑依”ですね。日本は先進国だしいろいろと誇れるものがあるから、誰もが「自分たちが主流なんだ」と思いがち。だけど、言語でいうと、圧倒的に小さいんです。
 私たちが当たり前に使っている常用漢字だって、いずれはあちらこちらに押し流されるでしょう。「子どもの頃から使っているから当たり前」と思っていることだって、たまたまカプセルの中に50年ほどいただけなんです。

青柳委員長 そうやって日本の文化を相対化した後に、じゃあ自分たちのアイデンティティとして何が残るのか。何が他の地域と、あるいは文化と共通するのか。そのことをきちんと認識することが、地球というプラネットにおける大人の生き方なのかもしれませんね。

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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