知られざる富山とバスケの関係 強化編 馬場雄大と八村塁を育て上げた名伯楽

大島和人

県協会も認める坂本コーチの活躍

奥田中を率いる坂本コーチ。多くの名選手を富山から送り出している 【大島和人】

 富山から馬場や八村のような逸材が出ているのはなぜか――。富山県バスケットボール協会の松倉弘英専務理事に聞くと、こんな答えだった。

「ひとえに坂本さんのおかげだと思います。自分ではなく他から指導者を呼んできて、能力を発揮させる手立てをたくさんされている。奥田中で彼らが身につけたものを高校、大学で開花させてくれた」

 松倉専務理事も「北信越の中でも富山県はバスケ的にわりと弱い県。『残ってくれたら』という選手も県外に出ている」と謙遜(けんそん)する。確かに高校バスケを見ると、新潟や石川、福井と違って全国区の高校はない。

 17年、18年と2大会連続で富山からウインターカップに男子の代表校として出場しているのは高岡第一高で、坂本コーチの息子・尭志氏が指揮を執っている。ただし県代表が2年連続で同じチームになることは珍しく、人材の分散が結果の出にくい状況に拍車をかけている。

 もっとも関係者が手をこまねいていたわけではない。「追いつけ追い越せ」の努力は間違いなくあった。

 バスケに限らず「県協会」は教員が強化、運営などの実務を担うケースが多い。富山県協会の中心となっていたのが魚津高、筑波大出身の県立高校教員だ。

 坂本コーチに指導者として白羽の矢を立てたのは、現富山工業監督の松井昭博氏。魚津高、筑波大で松倉氏の2年先輩にあたる人物だ。そのさらに一つ先輩で、強化の「旗振り役」を務めたのが稲葉之忠氏。現在は教員を退職してバスケ教室「稲葉バスケットボール研究所」を立ち上げている。

 松倉専務理事はこう説明する。

「稲葉さんは30年ほど前から『リーグ戦をしなければダメだ』とずっと言っていたんです。稲葉さんを中心に『富山のバスケをどうしていくか』とずっと議論したり、実際に何かをしようとやってきた。それがいろいろな人を巻き込んで、見えない形でこうなっている部分はあるかもしれません」

 当時は「暴論」とも受け取られた稲葉氏の主張だが、日本バスケットボール協会(JBA)が育成年代のリーグ戦化を本気で進めようとしている今となれば、的を射た議論だった。

才能を引き出す「良き土壌」がある

県協会の松倉専務理事は、富山ならではの強化策の事例を明かしてくれた 【永塚和志】

 小さな県だからこその「風通しの良さ」「距離の近さ」もある。以前、馬場から国体に向けた強化として富山県高校選抜が富山グラウジーズと練習試合をしたという話を聞いたことがある。これもいい風通しと、先進性があったからこその取り組みだった。今はともかく当時はJBAとbjリーグの緊張関係があり、「プロ」に対して距離を置く地方協会が多かった。

 松倉専務理事はこう振り返る。

「(協会の)若手がbjと協力しようということで、あのときも高校選抜と練習試合をしました。グラウジーズは国体で作ったチームを母体にしているので、富山県として応援したかった。公式にやるといろいろ影響があるかもしれないし、審判も公式バッジをつけてbjを吹いてはいけないという通達があった。でも練習試合だし、バッジを外していけばいいんじゃない?と」

 当時は富山南高校の監督でもあった松倉専務理事にとって、馬場は中学時代からなじみのある選手。その成長も目の当たりにしていた。

「奥田中のときもよく(練習試合に)来ていたんですけれど、馬場は接触プレーが嫌いで、ソロソロっと外に出ていってしまうことがありました。ただアンダーカテゴリーで全日本に入ってから、変わってきたのは見ていて分かりましたね。気持ちも身体もそうだし、練習の合間や後の過ごし方が目に見えて違ってきました。富山第一高時代に県の予選でも対戦しましたが、そのときはもう手におえなかった」

 馬場は父・敏春氏が監督を務める富山第一高に進んだが、八村は宮城県の明成高に進んだ。実は奥田中から、高校バスケのトップ校である明成への「流れ」を作った開拓者がいる。

 坂本コーチは振り返る。

「高田歳也という選手が、八村のルーツになるんです。(高田は)明成でずっと試合に出られなかったのですが、最後の最後に光って初優勝に貢献した。(明成でコーチを務める)佐藤久夫先生も『奥田はいい』って言ってくれた」

 松倉専務理事もこう振り返る。

「(高田は)呼ばれたわけでなく自分から乗り込んでいって、周りもどうなるのかなと思っていたら、結果を出してきた」

 高田は09年のウインターカップで大活躍。準々決勝で30点、準決勝は35得点を挙げ、明成のラッキーボーイになった。法政大を経て現在は関東実業団リーグ・新生紙パルプ商事でプレーする選手だ。八村は高田の存在からできた縁で明成に進み、そこで圧倒的な選手に化けた。

 北陸の小県、公立中学校にずば抜けた才能が舞い降りてきたことは、奇跡に近い偶然かもしれない。しかし富山には指導者と選手の才能を引き込み引き出す良き土壌、人の縁があった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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