連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

毎日病院に来てくれた彼女が妻に…小林悠、川崎フロンターレ加入前の秘話

原田大輔

プロ入り直前での度重なるケガに心は折れかかった…

プロ入り前に負った大ケガ…当時の心境について、小林も妻も目を潤ませながら語ってくれた 【佐野美樹】

 ただ……大学4年生になった小林はアクシデントに見舞われる。ユニバーシアード競技大会に向けた合宿で、左足の中足骨を骨折するケガを負ったのである。

「大学のときに一番の目標になっていたのが、ユニバーシアードに出ることだったんですよね。でも、最後の最後の遠征で中足骨を骨折してしまって全治3カ月。夢だったというか……大学4年間、すべてをそこに懸けていたので分かったときには、ぼろぼろと泣きました」

 ただ、アクシデントはこれだけではなかった。ケガが治った復帰戦で、今度は前十字靱帯を断裂する大ケガを負ったのである。

「サッカーをやめたいとは思わなかったですけど……正直、心は折れましたよね。中足骨を骨折してから復帰まで3カ月。そこから、さらに半年以上も掛かるケガを負ってしまったので、もうダメかもしれないなって」

 当時は大学生で、まだまだ人間的にも未熟だった。いや、年齢を重ねたとしても、長期離脱を強いられるケガを負えば、誰でも落胆するし、自暴自棄にもなるだろう。当時の小林はとことん落ちこんだ。川崎の良心により、プロ内定は取り消されずにすんだが、それでも精神的には落ちるところまで落ちた。

 ただ、彼には心配してくれるだけでなく、支えてくれる人がいた。それが直子さんだった。

 当時を思い出したのか、思わず直子さんは涙ぐみ、ごまかそうと上を向く。それは、こちらが次の質問を投げかけるのがはばかられるほどだった。

「……すみません。もう昔のことなので、記憶が曖昧なところもあるんですけど、目標としていたユニバーシアードに出場できなくなって、彼は本当にものすごく落ちこんでいましたね。基本的にすごくポジティブな人なんですけど、そのときは初めての大きなケガということもあって、まだケガをすることにも慣れていなかったところもありました。結果的にフロンターレは契約してくれましたけど、(靱帯断裂の)ケガで内定も取り消しになるんじゃないかって落ちこんでいて。だから、プロになったときも彼は、試合に出るとか絡むとかではなく、まずはケガを治すところからのスタートだったんです。その当時はよく、『まるで自分の身体じゃないみたいに感じる』って言っていました。『イメージと動きが合わない』って。プロ1年目なので、周りと比べて、レベルの差も感じていたと思うんです。それなのにベストなプレーすらできない。その時期は見ていても、すごく苦しそうでした」

 川崎でプロの一員になるまでに、手術もあれば入院生活、さらには過酷なリハビリも待っていた。そのとき、小林と同い年の直子さんも大学4年生。当然、自身も学校があれば、日々の生活もあった。それでも直子さんは毎日欠かすことなく、学校が終わると電車に乗り、小林が入院する病院に駆けつけた。

自身の生活を省みず、支えてくれた彼女に抱いた思い

川崎は11月10日、2試合を残してJ1連覇を達成。キャプテンの小林が高々とシャーレを掲げた 【Getty Images】

 小林もまた目の奧を潤ませながら当時を振り返る。

「今もですけど、本当にあのときは支えてもらいましたよね。自分も学校があるのに、終わったら、毎日、毎日、病院に来てくれた。それはもう、本当に、こっちが申し訳なくなるくらい。10分とか15分とかしか面会時間がないときでも来てくれる。さすがにそのときは、『無理して来なくてもいいからね』って言ったんですけど、それでも来てくれて。大学に入るまでは母親に何でも話してきたんですけど、付き合ってからは彼女にすべてを話すようになっていたので、全部、知っているんですよね。サッカーをがんばってきたこと、その結果、フロンターレでプレーできるのが決まったこと。目標にしていたユニバーシアードに出場できなくなって落ちこんだこと。今思うと、それで強くなれたというのもあるんですけど、あのときが一番きつかったし、しんどかった。妻には、そういう落ちこんでいる姿を全部見せていますし、彼女の前で一番、僕は泣いていると思います。そういうすべてを知っているからこそ、毎日、毎日、病院にも来てくれたんでしょうね。だから、そのとき、思ったんですよ。こういう人と結婚したいなって」

 ふたりが結婚を決めたのは、ケガも治り、プロ2年目を迎えた2011年だった。出場機会を増やしていった小林は、自ら「プチブレイク」と表現したように、このシーズン、J1で32試合に出場して12得点の活躍を見せる。

「結婚は、絶対に自分が活躍してからと思っていたんです。ケガをしたこともありますけど、相手の親も心配していたので、ケジメじゃないですけど、そこは示さないとなって。どこまで結果を残せば、というのは決めていなかったですけど、自分の中である程度、活躍したり、年俸も上がらなければ、相手の親に挨拶しに行けないなと思っていたところはありました」

 しかし、これですべての歯車が順調に回りだしたわけではなかった。その後も、小林は、いや、ふたりは困難であり、悔しさに何度もぶつかっていく。ただ、そのたびにふたりは乗り越えてきた。

 もしかしたら、妻である直子さんの言葉が、そして支えがなければ、川崎のJ1初制覇や2度目の優勝となる今シーズンのJ1連覇もなかったかもしれない。

<後編に続く>

【佐野美樹】

小林悠(こばやし・ゆう)
1987年9月23日生まれ。東京都町田市出身。川崎フロンターレ。FW/背番号11。177センチ/73キロ。拓殖大学を卒業後、2010年に川崎フロンターレへ加入。以後、川崎一筋でプレーするストライカー。DFの裏へと抜け出す動き出しの速さと精度の高いシュートでゴールを量産する。キャプテンに就任した2017年にはJ1で23得点を挙げて、チームのJ1初優勝に貢献するとともに、得点王にも輝き、Jリーグ最優秀選手賞を受賞した。日本代表では2014年にデビューを果たす。2018年ロシアW杯の出場はかなわなかったが、森保ジャパンの初陣となったコスタリカ戦に出場している。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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