湘南、忘れられない「シーズン3勝」 初Vへつながる8年前の苦い記憶
島村に刻まれた8年前の悔しさ
ルヴァン杯を制し初タイトルを勝ち取った湘南。幾度もの悔しさを経て手にした歓喜だった 【(C)J.LEAGUE】
前年に就任した反町康治監督の指揮のもと、クラブとして11年ぶりとなるJ1復帰を果たして臨んだ待望の舞台だった。だが当時プロ3年目の島村をはじめ、チームの大黒柱である坂本紘司(現スポーツダイレクター)や2種登録の遠藤航(現シント=トロイデンVV/ベルギー)など、初めてJ1のピッチに立つ選手も少なくなかった。シーズン序盤から黒星を重ね、7月半ばに3勝目を挙げて以降、リーグ戦では一度も白星をつかめず、ヤマザキナビスコカップ(当時)もグループステージ全敗を喫していた。
「いま思えば、すべてにおいて力が足りなかった」。島村は振り返る。
「勢いに乗って昇格しましたが、J1経験のある選手も少なかったし、手探りの状態で戦っていた。守備の面での個々の対応力も攻撃の面でも足りなかった。立ち上がりから勢いよくゲームに入り、阿部(吉朗)さんが先制点を取ってくれたりしたこともありましたけれど、それでも相手は慌てずに淡々と返してくる。逆に僕らは1点を必死に守るような展開になってしまい、追いつかれ、逆転されて負けることもたくさんあった。何回やっても勝てず、ボロボロにされたなと振り返って思います」
負ければ降格が決まる厳しい状況のなかで、「難しい状況ではあったけど、可能性がある限り戦おうと、みんなしっかり気持ちを入れて臨んでいた」と島村が語ったとおり、湘南は前半は前向きな戦いを示していた。途中ゴールが壊れるアクシデントによって生じた中断にも、高い集中力が途切れることはなかった。
だが、前半アディショナルタイム。小野伸二(現北海道コンサドーレ札幌)に最終ラインの間を突かれ、先制点を喫してしまう。「僕とセンターバックの間をすり抜けられてしまった。たぶん僕の絞りが遅れたんだと思う」。
ハーフタイムを経て反撃を期した後半もゴールは遠い。島村もセットプレーから渾身(こんしん)のヘディングシュートを狙うが、GK西部洋平の好守に阻まれてしまう。逆に清水は57分のヨンセンの得点を皮切りに、64分には藤本淳吾(現ガンバ大阪)が続き、さらにゲーム終盤には岡崎慎司(現レスター/イングランド)が2ゴールを挙げて勝負を決めた。
苦い記憶はポジティブな経験に
8年前の11月、この日2ゴールを挙げた岡崎(左)と島村 【(C)J.LEAGUE】
「追加点にダメ押しまで食らい、気持ちが落ちてしまったことは否めません。反町さんは試合後、みんなの前で『すまなかった』と言いました。厳しく指導してくれた反町さんにそう言わせてしまったのは僕らです。自分たちの力不足を感じ、応援してくれている方たちにつらい思いをさせてしまって、本当に悔しかった。つらかったです」
来季同じ場所に来られないことが決まった彼らは、湘南サポーターの声援と清水サポーターによるベルマーレコールを背に受けながらスタジアムをあとにした。
それでも、その時々には苦しかった経験をポジティブに思い返せるのは、すべてを糧に積み上げてきた今があるからにほかならない。12年にタクトを引き継いだ曹貴裁監督のもと、彼らは自分たち自身に矢印を向け、結果に揺るがず攻撃的なスタイルを育んだ。
13年に再度J1に挑み、1年で降格するも、14年にはJリーグ史に残る圧倒的な成績(42試合で31勝、勝ち点101)でJ2初優勝を果たす。15年にはJ1で年間8位の成績を収め、初めて残留も成し遂げた。
「降格して上がるたびに積み重なっていくものかなと思う」。その歩みを島村はひも解く。
「10年のJ1では3勝だったのが13年は6勝になった。前回よりもいい戦いができるようになり、攻撃も通用するようになってきた。一方で、守備の部分で最後力負けしてしまったり、一瞬の隙でやられてしまったりすることも多かった。その経験を踏まえてJ2に臨んだ14年は攻撃でも守備でも圧倒できた。15年はみんな自信を持ってJ1を戦えたと思うし、今まで積み上げてきた良さが出たシーズンだった。8位でしたけれど、もっと上にいってもおかしくないくらい、充実した年でした」