「ピッチ外」で苦しめられるアジア大会 A代表でも“使える”選手だと示す好機

川端暁彦

ベトナムとの第3戦、前半は一方的な展開に……

ベトナムとの第3戦、前半は一方的な戦いを強いられた 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 そしてベトナムとの第3戦である。相手は日本が8強で敗退した今年1月のAFC U−23選手権で準優勝している「戦術的にも成熟した完成度の高いチーム」(森保監督)。そこにオーバーエイジの選手も加わり、今大会でメダル候補の一角と位置付けられている東南アジアの成長株である。チームの人気はA代表をしのぐそうで、多くのベトナムメディアが会場に詰め掛けていた。

 A代表監督を兼任する韓国人のパク・ハンソ監督がこの試合で採用したのは、マンツーマン気味に相手を前から捕まえにいくハイプレス。後ろが少々人数不足になるリスクもいとわず、日本のビルドアップを壊しにきた。ネパールとは形がまるで違うが、日本の戦術的根幹をたたきにきたという点では共通した狙いである。

 日本ベンチにとって「ああなるだろう」(森保監督)と予想していたベトナムの戦術だが、選手からすると、受けた圧力は想定以上だったかもしれない。開始3分につなぎのミスを奪われてあっさり失点すると、以降もベトナムに攻められ続ける苦しい展開となった。第2戦でシンプルなプレーを選択して奏功した経験がウソのように、無理なつなぎから不用意なボールロストを頻発。カウンターを浴びるシーンも相次いだ。

 心理的に及び腰になっているかのようなプレーも散見され、ルーズボールへの反応も悪すぎた。前半のシュート数は1対10。日本の1本も公式記録にカウントされるべきか迷うシュートであり、相手の決定力不足に救われて点差こそ広がらなかったものの、ほぼ何もできないに等しい前半だった。

 ハーフタイムには「森保さんが“喝”を入れた」(岩崎)と精神面での消極姿勢を立て直しつつ、戦術面でも3−4−2−1から修正をかけた。岩崎をトップ下に入れた4−4−1−1の形に変えて(守備時は4−4−2)、相手のプレッシャーに対する逃げ場を用意しながらビルドアップの円滑化を図る。

「後半は4バックにしてうまくハマったし、個々でも戦えた」とDF杉岡が振り返ったように、内容は大幅に改善。前半と打って変わって、相手ゴールに迫るシーンも見られるようになったが、結局スコアは動かせぬまま、0−1での敗戦となった。

2位通過で「中4日」の準備期間を得る

日本は2位通過になったことで、「中4日」の準備期間を得た 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 ただ、これで大会が終わったわけではない。「われわれにとって幸いだったのは、これが決勝トーナメント進出が決まった上での試合だったこと」(森保監督)。2位通過となったが、大会は続く。そして大きなポイントは、2位通過になったことで次戦まで「中4日」という時間を手に入れたことだ。

 初戦はJリーグから中2日、第2戦は中1日、第3戦は中2日という流れで過ごしてきた。加えてグラウンド状態は悪い上に、疲労も溜まる中で負傷のリスクがあることから練習の強度も下げてきた。実は戦術的な全体練習は、現地入りしてから1度もしていない。ここで中4日と時間が空くことで、その余裕も出てくるはずで、これを無駄にする手はない。グループステージでの苦い良薬を飲み干すチャンスだ。

「僕らももう子供じゃないし、プロ選手としてやっている。そこの責任感、このピッチで結果を残していかなければ先がない、というのをそれぞれが感じないといけない」(MF三好康児/北海道コンサドーレ札幌)

 ベトナム戦のハーフタイムがそうだったように、森保監督の指示で立ち直れるのだから、選手にベースの力がないわけではないだろう。ただ、45分間崩れたままで勝てるほど、ここから先の相手は甘くない。東京五輪について言うなら、なおさらだ。

 トーナメントが始まるまでのわずかな空白期間においても、そうした姿勢があらためて問われてくる。チームとして狙いを共有して実践する部分について擦り合わせつつ、それを試合の状況や相手の対策に応じて変えていけるかどうか。そしてもちろん、個々人が日の丸を背負う選手としての姿勢を見せられるかどうか。

 言ってしまえば、ピッチ外に言い訳材料を探せばいくらでも見つかってしまう大会である。ただ、だからこそ各々の代表選手としての姿勢も問われる。練習時間がないのも、スケジュールがハードなのも、環境が厳しいのも、代表としては当たり前といえば、当たり前なのだ。

 逆に言えば、五輪という枠を越えて、A代表で「使える」選手であることを示す好機でもある。グループステージでの戦いは率直に言ってふがいないものだったが、雨に降られて地面が固まることもあるし、そこから出てくる芽もあるはず。与えられた「中4日」を経て、東京五輪世代の代表選手たちが何を見せてくれるのか。開花につながる発芽を待ちたいと思う。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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