大阪ガスを都市対抗制覇に導いた執念 3度目の正直でシルバーコレクター脱却

楊順行

終盤にチャンスを広げた1、2番

三菱重工神戸・高砂との近畿対決を制し、3度目の都市対抗決勝でようやく勝利をつかんだ大阪ガス 【写真は共同】

 打球は、しぶとくセンター前に抜けていった。

 大阪ガス(大阪市)の8回裏の攻撃、1死二塁で打席には峰下智弘。三菱重工神戸・高砂(神戸市・高砂市)のマウンドには、守安玲緒がいる。2010年の入社以来、近畿2次予選では毎年のように10回も対戦し、うち7回を勝利に導いている三菱の絶対的エースだ。1回戦の初回こそ1失点したが、鷺宮製作所(東京都)との準々決勝は完封。この日も、落ちる球と制球を武器にした絶妙の投球で、大阪ガス打線に得点を許さず、無失点イニングは22に達しようとしている。

 だが打席の峰下には、この社会人を代表する右腕にも「苦手意識はない」。見逃した4球目の厳しいコースはボールの判定で、「ストライクと言われてもおかしくなかった。命拾い」と次の5球目をたたき、大きな大きな先制点をもたらした。大阪ガスはさらに、代わった藤井貴之(日本生命から補強)から近本光司がセンターにはじき返して追加点。投げては温水賀一と緒方悠の完封リレーで、初めての黒獅子旗をその手につかんだ。

 3年ぶりに近畿勢同士の決勝となった第89回都市対抗。そのときに日本生命(大阪市)に敗れている大阪ガスにとっては、その前の00年を含めて3度目の決勝だ。一方、創部100周年の三菱重工神戸・高砂の決勝進出は、1970年以来2度目。当時は延長14回引き分け再試合で大昭和製紙(富士市)に敗れており、どちらが勝っても初優勝となる。大阪ガスは2回戦以降、新日鐵住金かずさマジック(君津市)、前年優勝のNTT東日本(東京都)、JR東日本(東京都)という難敵をいずれも1点差できわどく振り切り、三菱は守安、藤井の二本柱が準決勝までの4試合をわずか1失点と、盤石の投手力で乗り切ってきた。

「相手は守安さん。絶対にロースコアになる」。大阪ガスの先発・温水が予感した通りの展開だった。「だからこそ、甘いコースは禁物」と温水は丁寧に低めをつき、7回まで両投手とも5安打ずつ、先頭打者に出塁を許さない緊迫の投手戦だ。試合が動いたのは8回。大阪ガスは、先頭の青柳匠がヒットで出ると、次の小深田大翔のサードゴロの間に二進。「変化球なら盗塁成功の確率が高いので、ストレートならなんとか当てろ」(青柳)と意思疎通のできていた1、2番の、あうんのヒットエンドランだった。

大きかった復旧作業のサポート経験

 そう、大阪ガスの躍進はこの機動力抜きには語れない。今季就任した橋口博一監督の方針は、「盗塁は、半分アウトになってもいいつもりで果敢に走れ。前向きな失敗は経験として残る」。事実、信越硬式野球クラブ(長野市)との初戦では、初回に出塁した青柳のノーサインの盗塁から始まり、1、2回だけで4盗塁だ。結果的にこの決勝でも3盗塁を決め、個人4盗塁の近本を筆頭にチーム13盗塁と、足でかき回してチームに勢いをもたらした。そして、峰下。新人だった15年、日本生命との決勝では延長11回、13回の得点機にいずれも凡退。「あそこで僕が打っていればサヨナラ勝ちで優勝でしたし、今日の1、2打席目も走者を置いて打てていない」と、決勝での「5度目の正直」(峰下)に賭ける執念がきわどいボールを見極めさせ、殊勲打につながった。

 実は大阪ガス、大阪府北部地震のあった6月18日以降、1週間ほど練習ができていない。復旧作業のサポートのためだ。都市対抗開幕まで1カ月を切った大事な時期である。だが、「あの経験で、ふつうに野球できることがどれほどありがたいか痛感しました」と猿渡眞之投手が言うように、「ガス会社の社員だという気持ちを、改めて持ったと思います。もともと力はあった上に、みんな一回り大きくなって練習に戻ってきた」と、橋口監督も手応えを感じた。

 それにしても……昨年は近畿最後の枠・第5代表決定戦で戦った両チームが、1年後は頂点を競うのだから、都市対抗とはなんとも過酷で、ドラマチックだ。しかも勝ったのは、そのときに守安に完投勝利を許し、出場を逃していた大阪ガスなのである。過去に都市対抗、日本選手権の準優勝が5回。橋口監督は、こんなふうに語っていたものだ。

「都市対抗では、00年の準優勝のときがマネージャー。15年の準優勝は、副部長としてスタンドで見守っていました。2度あることは3度なのか、3度目の正直になるのか……でも、持っている力を出せれば、勝てるでしょう」

 表現はややこしいが、峰下の「5度目の正直」が「3度目の正直」に導いたわけだ。MVPにあたる橋戸賞と首位打者賞を獲得した近本らの胸には、誇らしげに金メダル。もう、シルバーコレクターとは言わせない。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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