予選落ちの松山、“悲劇”にも前を向く 世界で活躍するために必要な“達観”

北村収

カーヌスティゴルフリンクスで開催されている全英オープン。最難コースに松山も苦戦する結果となった 【Getty Images】

 男子ゴルフのメジャー大会「全英オープン」が開催されるコースの中でも最難と言われるカーヌスティゴルフリンクス。同コースで開催された2007年は6人の日本人選手が出場しながら予選を通過できたのは谷口徹たった1人だった。

 そして今年は過去最多タイとなる10人もの日本人選手が挑戦し、4人の選手(小平智、池田勇太、川村昌弘、宮里優作)が予選を通過。11年前と比較すると日本人選手が善戦しているが、予選通過した選手たちに共通していたのはすべてを受け入れるという“達観”だった。

小平はボギーに奮起し予選通過

日本人最上位での予選突破となった小平智はボギーがきっかけで気持ちを切り替えられた 【Getty Images】

 初日の1番ホール(パー4)で2打目をグリーン手前のバンカーに入れ目玉。3打目は出すこともできず4打目で寄せてボギースタートとした小平は、ホールアウト後に「このボギーで落ち着けた」と振り返った。そして2日目、予選カットラインにいながら16番で痛恨のボギーをたたくも、「守りに入っていたけど、このボギーでスイッチが入り、かえって良かった」と17番、18番で連続バーディ。1オーバーの40位タイで予選通過を果たした。

 小平と同じく1オーバーの40位タイで予選を通過した池田も、ボギーを苦境と捉えるのではなく飛躍の糧にする瞬間があった。初日、1アンダーで迎えた9番ホール(パー4)でティーショットをフェアウェイ左サイドのバンカーに。そして2打目は脱出を失敗してしまう。なんとかボギーで抑えたものの落胆の度合は大きいのではと思われたが、「あれはナイスボギーだった」と振り返った。

 実はこの9番のティーショットでトラブルがあった。カメラマンが池田のティーショットの飛球方向に入ってしまい仕切り直す羽目に。その後のティーショットがバンカーだから、怒り心頭となってもおかしくない。ところがホールアウト後にはそんなトラブルがあったことなどは一切触れなかった。

宮里優作は腰痛に苦しめられるも工夫で乗り切る

腰痛に悩まされていた宮里優作は、自分の調子に合わせてスイングを変える工夫で何とか乗り切った 【Getty Images】

 初出場した3選手の中で、唯一予選通過を果たしたのは川村だった。初日は6オーバーの137位タイと大きく出遅れ「予選通過は難しいと思っていた」が、2日目は4つスコアを伸ばし2オーバー・52位タイでホールアウト。「予選ラウンドで決めた攻め方などを変えるのは勇気がいるかもしれなが、自分にはそれができる」と、アゲンストならクラブの番手を大胆に上げることなどを厭わなかったという。ここまで盛り返せた理由は、川村自身が持つフレキシブルな対応力にあると自己分析した。

 予選カットラインの3オーバー・65位タイでギリギリの予選通過を果たしたのは宮里優作だ。ここ数カ月間、腰痛に悩まされており先週は棄権。開幕前日になってやっと練習ラウンドをスタートした。そんな厳しいコンディションにもかかわらず初日は一時、リーダーボードに名前を乗せる活躍を見せた。しかし「足が動かなくてとんでもないところに飛んでいった」と14番でティーショットを左にOBして痛恨のダブルボギーをたたくなど、出入りの激しいゴルフでイーブンパーにとどまった。

 2日目も腰痛に悩まされながら、「スタンスを狭くしたり、すこし球を右に置いてドローを打った」など、自身の調子に合わせたスイングを実践。ただこの日も「何か違う動きがあった」と18番で左に大きくひっかけOBになるなどのトラブルもあり出入りの激しい展開ながら予選通過を果たした。

 すべてを受け入れる。この予選通過者が共通して備えていた達観だ。ボギーを受け入れ、その後の好プレーに繋げた小平と池田。風の向きや強さ、初日と雨が降った2日目で大きく変わったコンディションを受け入れた川村。そして抱えている腰痛への恨み節を一切言わず自分ができるゴルフに徹した宮里。日本では類をみない諸行無常なリンクスという舞台には、すべてを受け入れる“達観”が、予選通過の必要条件だった。

松山は“バンデベルデの悲劇”と同じ7打で予選落ち

松山は最終18番で痛恨の3オーバー。予選落ちとなったが、それでも前を向く 【Getty Images】

 予選落ちは6人。その中には日本人選手の中で最も期待の高かった松山英樹もいた。「(2日目は)2アンダーか3アンダーで回らなくてはいけないと分かっていたので、その通り(2日目を)3アンダーで18番を迎えられたのでいい感じだと思っていた」と17番までは本人も、そして日本のファンも期待どおりの展開だった。

 しかし、18番でカーヌスティならではの“悲劇”が待っていた。1999年のジャン・バンデベルデが最終18番で3打差を追いつかれ優勝を逃した悲劇はあまりにも有名だが、2打目を痛恨のOBとした松山のスコアもバンデベルデと同じ“7”。「全然問題がないライだった。前の土手に当たったのか? 自分でも原因が分からない」とOBとなったセカンドショットに関しては釈然としないようだった。

 メジャーで優勝争いを戦った経験のある松山は、他の予選を通過した日本人選手が持つ“達観”はもちろん備えていた。「最後のセカンドだけミスしたが、それ以外はいい感じでプレーできていた。それを今度の試合で生かしていきたい」。メジャーでの予選落ちは3回しかなく、今回の結果に対する悔しさは尋常でないはず。しかし、結果をすべて自分の責任と受け入れ、前を見つめていた。
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著者プロフィール

1968年東京都生まれ。法律関係の出版社を経て、1996年にゴルフ雑誌アルバ(ALBA)編集部に配属。2000年アルバ編集チーフに就任。2003年ゴルフダイジェスト・オンラインに入社し、同年メディア部門のゼネラルマネージャーに。在職中に日本ゴルフトーナメント振興協会のメディア委員を務める。2011年4月に独立し、同年6月に(株)ナインバリューズを起業。紙、Web、ソーシャルメディアなどのさまざまな媒体で、ゴルフ編集者兼ゴルフwebディレクターとしての仕事に従事している。

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