ロイヤルズが16歳投手を獲得した理由  担当スカウトが語る結城海斗の可能性

清水岳志

史上最年少の16歳でマイナー契約

史上最年少でロイヤルズとマイナー契約をした結城投手(写真左)と小学6年生から結城投手を見続けていたロイヤルズ大屋国際スカウト 【写真は共同】

 夏の高校野球が100回大会という節目を迎える年に、その歴史に触れずに海を渡ろうとしている少年がいる。まだ、16歳だ。

 結城海斗投手。7月8日、史上最年少で米大リーグのカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んで、会見を開いた。中学を卒業したばかり。プロ契約をしたと言っても、浮ついてもいられない。本人の取材は両親や周囲の意向もあってNGなのだそうだ。そこで獲得に当たったロイヤルズの大屋博行国際スカウトに話を聞いた。

 大屋スカウトは1965年10月生まれの大阪府出身。大商大堺高で野球部も、高校2、3年とアメリカに留学。帰国してからは阪神の練習生になったが、肩のケガもあり選手を断念した。ダイヤモンドバックス、ブレーブスのスカウトを経て、今年の2月1日からロイヤルズの国際スカウトを担当。スカウト歴は20年以上になる。

シャイな性格も探究心は持っている

――結城選手を初めて見たのはいつでしたか?

 私は河南リトルシニアのアドバイザーで、ピッチングコーチを十数年してきました。彼が小学校6年で体験練習に来たときに初めて見たんです。一目で「あっ、本物のピッチャーや」と声が出ました。身長はすでに170センチ以上あったと思います。背も抜けていたし、野球センスも抜けていました。中学校(峰塚中)がダルビッシュ有(カブス)と同じ中学で、憧れていたようです。

 体験練習のときに、それまでは軟式をやっていたというのに、硬球でピッチングをしたんですが、普通は(ボールが)重いし、指が負けて押さえられずにボールは上ずるものなのに、きちんと投げられていました。それで、ものが違うと。その頃で球速は110キロぐらいかな。当時はプロの目では見ていないし、スピードガンでは計ってないんです。

――シニア時代はどんなアドバイスをされたのでしょうか?

 私はコーチといってもボランティア的な位置で、常にはグラウンドに行かれないし、他に専門のコーチもいます。彼は自己確立ができていて、ピッチャーとしての自信も持っていました。向こうから聞いてきたら教えてあげる程度でした。とやかく言われたくない、という雰囲気も持っていました。とっつきにくい子で(笑)、それは自信があったからでもあるし。シャイで目も合わさないようなところもあって、ボソッと「チェンジアップの投げ方を教えてください」って。探求心は持っています。

 最も印象に残っているのは、ランナー一塁でゴロを打たせてゲッツーを取りたいときにどんな球がいいですか、と。ボールの上を打たしてゴロにするんやから低めやな。それに落ちる球でチェンジアップ、ツーシームなんかやな、と。中2ぐらいの時でした。

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著者プロフィール

1963年、長野県生まれ。ベースボール・マガジン社を退社後、週刊誌の記者を経てフリーに。「ホームラン」「読む野球」などに寄稿。野球を中心にスポーツの取材に携わる。

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