DeNA田中浩康に託された新たな肩書 監督、主将の挑戦に全力を捧げる

週刊ベースボールONLINE

DeNA加入2年目を迎えた田中浩康。今季は「ダッグアウト・キャプテン」という肩書を託されている 【写真:BBM】

 キャリアを重ねるほど、集団における自分の能力、立ち位置を考えさせられるものである。それは野球選手に限った話ではない。

 1年前、12球団でも飛び抜けて若い横浜DeNAという集団に飛び込んだベテラン・田中浩康は自身の経験をチームにもたらしながら、自らも吸収し、新境地を進む。

首脳陣から見える特有な信頼

 今季の田中は、実はDeNAのチーム内であるポジションを担っている。その名も「ダッグアウト・キャプテン」。5月上旬に1軍に呼ばれた際、ラミレス監督から直接打診を受け、数日後の試合前の円陣でナインに正式に伝えられた。

「チームメートにアドバイスする権限を与える。若い選手の相談に乗ってほしい」というのがラミレス監督の要望だった。今年5月で36歳になった田中は、12球団最年少クラスで構成されるDeNAの1軍において、ロペスの1歳上にあたり最年長になる。東京ヤクルトから移籍2年目はキャンプ、オープン戦と2軍生活が続いていたが、真摯な準備を絶やさず、チーム全体に目配りを効かせた振る舞いが首脳陣の耳にも届いていた。

 将来にも必ず役立つ経験だから、と指揮官は田中に伝えた。最初は1軍昇格したベテランへの短い期待の言葉だった。しかし、数日後の練習中に「やっぱり正式に肩書を付け、みんなの前で紹介したい」と転じたという。今回、ラミレス監督がチームマネジメントする上で田中の力を頼った形になる。開幕ダッシュに陰りが見えたチームは、貯金を使い果たしてBクラスに落ちていた。

 その経緯を、青山道雄ヘッドコーチが述懐する。そこには首脳陣の田中に対する、どこか特有な信頼が透けて見えた。「もちろん、いち選手の立場として頑張ってほしいけれど、どこかでわれわれ指導する側の力にもなってほしいというような気持ちもある。彼も役割を分かってくれていると思う。頼りにしていますよ」。

忘れられないラミレス監督からの言葉

 田中とラミレスの関係は深い。早稲田大からドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団したのが2005年。そこからラミレスが巨人に移籍するまでの3年間、ともに神宮球場を本拠地として戦った。すでに日本で5シーズン目を迎えていたラミレスは、打撃やパフォーマンスの人気のみならず、チームの中心選手としての存在感があった。

 田中はプロ2年目の出来事を今でも忘れない。

 その年はレギュラー定着が期待されながら、打撃不振が続いていた。即戦力の評価で入団した焦りと2軍降格の重圧に押し潰されそうだったある日、試合前練習に向かう田中は通訳に呼び止められた。ラミレスが、どうしても話したいことがあるという。

 神宮球場の右翼後方にポツンとある、クラブハウス内の会議室を予約してラミレスが待っていた。「タナカ。おまえは若くて素晴らしい選手だが、一つだけ足りないものがある」。そう切り出し、続けた言葉は田中の心情を的確に突いた。

「もしかしたら今日がおまえのラストチャンスかもしれない。結果がしばらく出ていない。俺にも若いときに経験がある。なかなか結果が出ずに空回りした。でも、おれは新しいゲームが来たら常に新しい気持ちで、過去のことは遮断して、前向きにプレーすることを心がけた。そうしたらうまくいったんだ」

 田中は「分かりました。今日の試合、もしスタメンだったら思い切っていきます」と答えた。気持ちの吹っ切れというものを実感していた。その日、後先考えずにフルスイングした打球が、内野と外野の間にポトリと落ちた。

 その成功体験を境に田中は安定した成績を残して正二塁手の地位を築き、翌07年にはベストナインを受賞した。「言ったら、俺の恩人のひとりだよ」と懐古する。

「ムードメーカーのような存在であり、チームリーダー的な存在。みんながそれぞれチームを引っ張っていく自覚というか。当時のヤクルトの先輩方はそういう選手が集まったチームだった」

 古田敦也、土橋勝征、宮本慎也……。野村克也監督の下で黄金期を築いたメンバーがベテランとして残っていた。個よりも組織を重んじる伝統が、そうした面々によって着実に受け継がれていた。「時に厳しいことも言われたけれど、プロの世界で必要なことを教えてくれた。その中の1人がラミレス監督だった」。

 ラミレスは16年にDeNAの監督に就任。翌年に田中がヤクルトからのコーチ就任打診を断って退団、DeNAに移籍という形で2人は再び同じユニホームを着た。選手同士だったヤクルト時代と関係性は異なるが、セ・リーグで最も長い、20年も優勝から遠ざかるチームを勝たせるには何が必要か。2人が日々考えることは同じだ。

 チームが勝てない理由に、一つの答えはない。「マシンガン打線」「大魔神」と強い個性派がそろった1998年の優勝も、黄金期の形成には至らなかった。そこから長く低迷期を過ごし、親会社が変わり、監督交代を繰り返してきた歴史が、チームの一貫した方向性の醸成を妨げたと指摘する声も球界にはある。

 ラミレス監督は選手個々と積極的に会話を図り、プライベートにまで助言を送る日本球界では珍しいタイプの監督だ。そうして一体感を生み出すことに腐心する。指揮官の目指すチームの理想が組織色の強かった当時のヤクルトにあるのかは、田中には分からない。しかし、田中は現在のDeNAに同じ方向性を抱く選手の存在を感じている。26歳の若さにして主将を務めている筒香嘉智だ。

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