人口約35万人! 小さな島国の大冒険 日々是世界杯2018(6月16日)

宇都宮徹壱

対照的なアルゼンチンとアイスランドの対戦

アルゼンチンといえば、凝りに凝った横断幕が特徴。こちらはキャプテン・メッシへの強い期待感が伝わってくる 【宇都宮徹壱】

 ワールドカップ(W杯)3日目。この日はグループCとグループDの合計4試合が行われる。13時(現地時間、以下同)からカザンでフランス対オーストラリア。16時からモスクワでアルゼンチン対アイスランド。19時からサランスクでペルー対デンマーク。そして21時からカリーニングラードでクロアチア対ナイジェリア。ここまで好試合や驚きの試合の連続で、すでに寝不足気味となっている日本のファンも少なくないだろう。されど大会はまだ始まったばかり。この日も興味深いカードがめじろ押しだが、私はスパルタク・スタジアムで開催される、アルゼンチンとアイスランドの一戦に集中することにした。

 今大会で最も国土が南にあるアルゼンチンと、首都レイキャビックが北極圏に近いアイスランド。両者は何もかもが対照的である。人口はアルゼンチンの約4400万人に対し、アイスランドは何と約35万人(2017年12月、アイスランド統計局の数値を参照)。W杯出場は前者が12大会連続17回目(うち優勝2回)に対し、後者は初出場。だが今予選に関しては、アルゼンチンが最終節で辛くもプレーオフを回避したのに対し、アイスランドは、クロアチアやウクライナやトルコといった強豪に競り勝ってグループ首位通過を果たしている。それでも6月7日付のFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは、アルゼンチンが5位でアイスランドは22位。実力差はランキング以上であろう。

 会場のスパルタク・スタジアムにはメトロで移動。途中、アルゼンチンのサポーターがどやどやと乗り込んできて、おなじみのチャントを歌い始めた。同じ車両にいたアイスランド側の反応を見ていたら、ひとりの女性サポーターがオペラ歌手さながらの歌声を披露する。感動したアルゼンチンのサポーターが、「スマホで撮るからもう一回歌ってくれ!」とせがむくらい、実に堂々たる歌いっぷりであった。初めてのW杯の初戦が南米の強豪相手であっても、まったく臆する様子を見せないアイスランドの人々。ふと、20年前に初出場した日本はどうだっただろうか、と思う。あの時も、日本の初戦の相手はアルゼンチンだった。

 注目の一戦は、意外にもアイスランドが序盤から積極的に仕掛けてきた。前半9分、最終ラインからロングボールを受けたアルフレッド・フィンボガソンが、ペナルティーエリア右に抜け出して右足でゴールを狙う。直後には、味方のシュートのこぼれ球をビルキル・ビャルナソンがシュート。どちらも枠外だったが、すぐさまアイスランドのサポーターから「(ドンドン!)うっ!(ドンドン!)うっ!」というバイキング・チャントが発せられる。するとアルゼンチンのサポーターも、激しいブーイングで応酬。最初は鷹揚(おうよう)に構えていた彼らも、どうやら本気モードで対応しなければならない相手と気づいたようだ。

美しくないけれどシンパシーが感じられるサッカー

試合後、バイキング・チャントで代表チームを迎えるアイスランドのサポーター。彼らがひたすら羨ましく感じられた 【宇都宮徹壱】

 前半19分、試合が動く。アルゼンチンはDFのマルコス・ロホが相手陣内に持ち込んで、グラウンダーの鋭いパスを供給。受けたセルヒオ・アグエロは、反転しながらマーカーを振り切って左足のシュートを突き刺す。まさに、W杯常連国の貫禄を見せつけるかのような、アルゼンチンの先制ゴール。しかし、これでアイスランドの心が折れることはなかった。前半23分、ギルフィ・シグルズソンが右サイドから折り返したボールは、相手GKとDFの間を突いてゴール前へ。GKのウィリー・カバジェロがセーブを試みるが、詰めていたアルフレッド・フィンボガソンが押し込み、これが歴史に残るアイスランドのW杯初ゴールとなった。

 1−1で折り返した後半19分、アルゼンチンにPKのチャンスが訪れる。キッカーを任されたのは、もちろんリオネル・メッシ。おそらく当人も、前夜のクリスティアーノ・ロナウドのハットトリックを意識していたことだろう(あるいは意識しすぎていたのかもしれない)。しかしゴール左を狙ったシュートは、ハネス・ハルドルソンがセーブ。ここからアルゼンチンの攻撃は、次第になりふりかまわぬものになっていく。後半30分にはクリスティアン・パボン、さらに39分にはゴンサロ・イグアインを投入。これでアルゼンチンの攻撃の枚数は、左サイドバックのニコラス・タグリアフィコを含めて6枚となった。

 実はこの日、記者席の数が足りなかったため、私はピッチから3列目の席で観戦していた。しかも後半は、目の前がアイスランド陣内だったので、アルゼンチンとのスリリングな攻防を20メートルほどの距離感で体感できた。アイスランドはゾーンで守りながら、1対1の局面では闘志むき出しのデュエルで対抗し、たとえ振り切られても必ず誰かがシュートコースを塞ぐ。後半は攻撃の回数が極端に減ったが、マイボールになったら瞬時に攻撃に転じる姿勢は、最後まで持続できていた。そして、5分間のアディショナルタイムが経過し、1−1のままタイムアップ。W杯3日目にして、とてつもない試合を目撃してしまった。

 FIFAのデータによると、シュート数はアルゼンチンが26本(枠内7)に対してアイスランドは9(同3)。ボールポゼッションは72%に対して28%。それでも初出場のアイスランドは、初戦で勝ち点1を挙げた。しかも、あのアルゼンチンから、である。やっているサッカーは決して美しくはないし、一般的な日本のファンの好みとは違っているようにも思う。それでも、彼らの真摯(しんし)かつ野心に満ちた戦いぶりに、大いにシンパシーを感じた人は少なくなかったはずだ。おそらくヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が目指していたのも、彼らがこの日見せていたサッカーに近かったのではないか。いずれにせよ、人口約35万人の小さな島国の大冒険は、まだ始まったばかりである。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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