バレー界注目の“若鷲”JTの林琴奈 成長の源は謙虚さと勤勉さ、負けず嫌い

月刊バレーボール

表彰式を終え、黒鷲旗賞(最高殊勲選手賞)に輝いた金杉由香(左)と林 【月刊バレーボール】

 全日本チームが2018年度の活動を本格化させた。その一方で、5月の第67回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会(以下、黒鷲旗)にて、Vリーグの各チームはシーズンを締めくくった。そんな集大成の舞台で存分に力を発揮し、最優秀新人選手賞「若鷲賞」に輝いたルーキーがいる。JTマーヴェラスの林琴奈だ。

要所で得点をマークする勝負強さ

 いよいよ雌雄を決するような試合の終盤になるにつれ、林の元にはトスが上がってくる。エースの林が前衛についているためでもあるが、そこでキッチリと得点を決め切る。だからこそ、彼女の存在感がいっそう輝く。

 黒鷲旗の大会5日目、準決勝の岡山シーガルズ戦は、両者一歩も譲らぬ激闘の末、最終セットはデュースに突入。スコアは23−21に至るほどの戦いで勝負を決めたのは、林のスパイクだった。

 翌日の決勝でも、JTが久光製薬スプリングスを相手に試合を優位に進める中、セットカウント2−0で迎えた第3セット。21−17の場面から林が得点し、一気に勝利へと近づいた。

 勝負どころほど、ボールが回ってくる。そのことを当の本人に聞くと、はっとした表情を見せ、そしてニッコリと笑った。

「そういえば、そうですね。確かに、燃えるというか……。競っていたら、余計に負けたくない、みたいな」

 今年の2月に金蘭会高校(大阪)からJTに内定選手として合流し、3カ月あまり。黒鷲旗で優勝を経験し、個人賞にも輝いた。それでも、続けて、こう課題を口にする。

「それを序盤から出せていないといけませんが、私は出だしが悪くて。金蘭会高の時からです。これから直していかないと」

 高校から日本のトップリーグへ。プレーするステージが上がっても、林は内に秘めたる闘志をコート上で発揮する。その一方で、どこまでも謙虚だった。

謙虚で、真面目。それが彼女らしさ

Vリーグデビューから3カ月足らず。ルーキーらしからぬ、堂々としたプレーを林(中央)は見せた 【月刊バレーボール】

 もとより林は、発する言葉に気持ちを乗せるタイプではない。

 金蘭会では中高のそれぞれで3年生時に主将を務め、ともに全国制覇を成し遂げた。ただ、決してリーダーシップを全面に押し出すのではなく、どちらかといえば物静かな佇まいだった。

「今日、林は休みかな? というほど、存在感がなかったものですよ」とは、中学校で指導した佐藤芳子監督の証言だ。プレー面に器用さはなく、全国大会の予選では気持ちを出さない姿に、試合中、激しく叱咤(しった)したこともあったという。

 そんな中でも、佐藤監督の目に、林の持つ勤勉さは輝いて映っていた。林が中学2年生時に臨んだ全国大会では大事な場面でサーブをミスした試合があった。それからの1年間、彼女の部活ノートにはいつも、「何度もあの場面が頭に流れる。同じ思いはしたくない」との文字がつづられていたという。

 不器用なほうがいい、手を抜かないから。それは金蘭会中学を3度の日本一に導いた佐藤監督の持論だが、林はまさにその代表例だった。金蘭会高に進学してからは、早々にレギュラー入りを果たす。全日本ユースに選出されるなど、プレー面で磨きがかかり、特に安定したレシーブ力の高さは、彼女の武器になった。

 主将を務めた高校最後の1年間でも、良くも悪くも彼女の持つ“らしさ”は変わらなかった。表立って発揮されることのないリーダーシップに、高校の池条義則監督は何度も雷を落としたのであった。

「おとなしい子でしたから。指示が出せない、声が出せない、ガッツが表に出ない、というね」(池条監督)

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著者プロフィール

1947年創刊。バレーボールの専門誌として、その黎明期から今日まで、日本のバレーボールを取り上げ、その報道内容は、全日本、Vリーグはもちろん、小・中・高・大学生、ママさんまで、多岐に渡る。

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