【全日本プロレス】CC・Bブロックはノア丸藤が決勝へ 秋山との5年半ぶりのシングル戦で勝利

高木裕美

馬場元子さんとサンマルチノさんを偲ぶ

ノア丸藤と秋山が5年半ぶりにシングルで激突 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 全日本プロレスの春の祭典「2018 チャンピオン・カーニバル」(CC)終盤戦となる25日の東京・後楽園ホール大会では、Bブロック最終公式戦4試合などが行われ、超満員の観客を動員した。

 試合前には、全日本の創始者である故・ジャイアント馬場さんの夫人で、14日に78歳で亡くなった馬場元子さん、馬場さんのライバルで18日に82歳で亡くなったブルーノ・サンマルチノさんの合同追悼セレモニーが執り行われた。

 元子さんは15歳の時、当時プロ野球巨人の投手だった馬場さんと知り合って以来、長きにわたって公私共に馬場さんを支えた。99年1月31日に馬場さんが61歳で死去し、翌年に三沢光晴さんら選手・スタッフがプロレスリング・ノア旗揚げのため大量離脱すると、一時は自身が社長に就任し、団体存続に尽力した。

“人間発電所”の異名をとったサンマルチノさんは、カナディアンバックブリーカーやベアハッグを武器に活躍し、1963年5月には第2代WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者に君臨。2013年にWWE殿堂入りを果たした。馬場さんとの親交も深く、愛車のキャデラックをプレゼントしたことも。72年10.22東京・日大講堂での全日本旗揚げ戦では、メインイベントで馬場さんと対戦。99年5月2日に東京ドームで行われた馬場さんの「引退記念試合」では、“荒法師”ジン・キニスキーさん、“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーと共に「引退試合」に出場し、ジョー樋口さんがレフェリーを務めた。

試合前には馬場元子さんとブルーノ・サンマルチノさんの合同追悼セレモニーが執り行われた 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 この日の合同追悼セレモニーでは、元全日本の丸藤正道や他団体選手を含む出場全選手がリングの周囲に並び、秋山準社長が元子さん、渕正信がサンマルチノさんの遺影を抱え、大森隆男、和田京平レフェリーもリング上に整列。木原文人リングアナウンサーが追悼の10カウントゴングを打ち鳴らした。また、この日の全試合終了後には、馬場さんが米国遠征時代によくジュークボックスで聞いていた思い出の曲であり、かつては全日本の大会の全試合終了後の定番曲であった坂本九さんの「上を向いて歩こう」が久々に流れると、観客からも昔を懐かしむ声が上がった。

12年12月以来のシングルとなった

「オレは勝ち逃げは絶対に許さないからな」と伝えていた丸藤(左) 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 この日はBブロック公式戦がすべて終了し、プロレスリング・ノア丸藤正道の決勝進出が確定。29日の後楽園大会で行われるAブロック最終公式戦で決まる1位の選手と、30日後楽園のメインイベントで優勝決定戦を行う。

 メインイベントでは、丸藤と秋山準が対戦。くしくも、馬場元子さんが亡くなった直後の大会で、故ジャイアント馬場さんのまな弟子であり、一度は全日本を離れた者同士が、約5年半ぶりに奇跡の邂逅(かいこう)を果たすことになった。

 秋山は92年、丸藤は98年に全日本に入門。共に00年に全日本を離脱し、ノアに移籍した。キャリア、体格ともに圧倒的に秋山が上であったが、04年10.16徳島市立体育館では、丸藤が場外で秋山のセコンドに就いていた橋誠を踏み台にしての不知火を決め、10分41秒、場外リングアウトでグローバル・ハードコア・クラウン(白GHC)を戴冠。また、06年9.9日本武道館では、27分29秒、完璧首固めでGHCヘビー級王座を獲得している。

 両者の最後のシングルマッチは12年12.23東京・ディファ有明大会。年内でのノア退団を表明していた秋山が、副社長の丸藤をリストクラッチ式エクスプロイダーからのフロントネックロックで丸藤の意識を失わせ、21分40秒、レフェリーストップ勝ち。試合後、秋山が丸藤に「頑張ってくれ」と告げて握手をかわすと、丸藤もリングに頭をつけて礼をし、「おい、秋山。オレは勝ち逃げは絶対に許さないからな。何カ月後、何年後になろうとも、おまえが試合がしたくなるリングにして、オレは待っている」とノアでの再戦実現を訴えかけていた。

 その翌年、秋山は古巣・全日本にフリーとして戻り、14年7月には社長に就任。一方、ノアに残った丸藤はエースとして奮闘し、16年11月に運営会社が変わってからも、旗揚げメンバーとして方舟を守り続けている。

丸藤が虎王連発で秋山から3カウント

最後は虎王連発で秋山をマットに沈めた 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 メイン開始前の段階では、秋山、丸藤、諏訪魔、ゼウスの4選手が8点で1位タイに並んでおり、丸藤vs.秋山の勝者が決勝戦進出となることがアナウンスされたことで、場内からは「秋山」コールが一気に高まっていた。

 5年半ぶりの一騎打ちは、観る者の感情までもが揺さぶられるような、魂のこもった打撃戦となった。丸藤は秋山のアゴをグイっと持ち上げて逆水平チョップをたたき込むと、さらに、秋山が苦手としていたかつての大先輩・川田利明を彷彿とさせる顔面ステップキック。これに怒った秋山も場外でランニングニー、場外マット上へのパイルドライバー、延髄ニードロップ、エプロンへのDDT。丸藤の体が衝撃でエプロンに真っ逆さまに突き刺さる。なおも秋山は顔面へのニードロップ、両腕をつかんでの顔面蹴り、ランニングニー、首4の字固め。丸藤のキックのコンビネーションを食らいながらも、因縁のフロントネックロックからエクスプロイダーを繰り出すが、丸藤も虎王で反撃。初めてこの技を食らった秋山がたまらず崩れ落ちる。

 エルボーとチョップの打ち合いから丸藤が不知火。秋山もこの日2発目のエクスプロイダーからヒザ蹴りを連発し、サポーターをはずしての顔面への生のヒザ蹴り3連発をブチ込むが、カウントは2。逆に丸藤もトラースキックから虎王を7連続で乱れ打ちにすると、さらにリストクラッチ式の虎王から、生ヒザをムキ出しにしての虎王で3カウントを奪取した。

 試合後、倒れたままの秋山が転がってリングから出ると、丸藤もリングから降り、互いに拳を合わせた。

 逆水平チョップ、虎王など、秋山がノアを去ってから使い始めた技を繰り出し、過去の白GHC戦やGHC戦とは違って、キッチリと3カウントを奪って勝利した丸藤は「まだ錆びてないね。強くて怖かった先輩、秋山準。しっかり優勝しないと、この勝ちも意味なくなると思うんで。あとひとつ。秋山準、いや、秋山さん。ありがとうございました」とかつての先輩に敬意を表しつつ、自身のデビュー20周年イヤーに華を添えるべく、CC初出場にして初優勝を宣言。一方、敗れた秋山は「勝ち逃げできなかったよ。勝ち逃げしてやろうと思ったんだけどな」と、5年半前に丸藤から贈られたメッセージに応える形で敗戦を悔やんだ。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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