U20世界選手権で世界ユースのリベンジを 短距離・宮本大輔インタビュー

日本陸上競技連盟

高校では2年連続で“高校3冠”を達成

日本選手権では高校、大学の先輩となる桐生(中央)と争った 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――高校は、京都・洛南高に進むことを選択。どういう思いで決めたのですか?

 地元に残るかどうか悩んだのですが、新しい環境で、全国レベルの方々がいるなかでやったほうが、自分はもっと強くなるんじゃないかと思って、最終的には山口を離れることにしました。

――高校1年の段階から、記録も伸び、インターハイでも6位入賞。世界ユース選手権(現U18世界選手権)でも決勝進出(7位)を果たしました。

 シーズン最初はあまりよくなかったのですが、インターハイの京都地区予選で自己新を出して、その記録で世界ユースに選んでもらえました。そこで調子が戻ってきて、普段の自分が出せるようになったかなと思います。

――世界ユースが初めての国際大会ですよね? 開催地はコロンビア。いきなり地球の反対側へ行くことになりました。

 移動だけで1日以上かかりました。海外に行くこと自体が初めてだったし、あまり治安がよくないとも聞いていたので不安に思っていたのですが、着いてみたら、友好的で優しい方々ばかり。環境の変化は気にならず、試合もいつも通りに臨めました。

――レースも緊張せずに走れましたか?

 準決勝までは、そうやっていい感じで行けたのですが、決勝はダメでしたね。進めただけで満足してしまったのと、そこまでに力を使い果たしていて、戦える状態ではありませんでした。会場の雰囲気も予選、準決勝とはガラリと変わったなか、自分の走りができず、ただ(上位争いする選手たちの)後ろを走っているという感じでした。

――そのレースではサニブラウン選手が優勝しました。

 同じ日本代表選手が、レース後に国旗をまとってスタジアムを歩いて回っているのを見て、めちゃくちゃ悔しい気持ちになりました。世界中の関係者とかメディアの人たちが注目している様子を外から見ているだけの状況だったので……。まだまだ力不足だなと痛感しました。

――シーズン全体を振り返るとどうですか?

 インターハイもなんとか入賞し、秋も国体(少年B)、日本ユースともに勝てて、自己記録も最終的に10秒49まで上げることができたので悪くはなかったと思います。

――高校2年では、100メートル(10秒31)、200メートル(21秒03)ともに大幅に記録を伸ばしました。100メートルではインターハイ、国体、日本ユースを制して“高校3冠”も達成。この結果については満足していますか?

 終わってみればよかったけれど、シーズン前半でスタートが全然決まらないなどの苦労もありました。中身が伴っていない部分があったので、全体的にはよかったと言えない1年でした。

――高校最後の年は、足首に不安を抱えてのシーズンインとなりました。

 春の合宿のころ右足首近辺に痛みが出ました。すぐに治るだろうと思っていたのに痛みが引かず、そのままシーズンイン。病院に行ったら、踵骨が炎症を起こしていたほか、踵の筋(すじ)も炎症を起こしていました。ただ、痛くて思うようにはいかないなかでも6月の近畿大会で(自己ベストの)10秒23を出していたので、「案外、ケガしていてもいけるもんだな」と思いましたが(笑)。インターハイも痛みはありましたが、自分が頑張らないといけないので……。

――個人の連覇はもちろん、チームの総合3連覇もかかっていましたね。痛みは、いつまで続きましたか?

 最終的に痛みが完全になくなったのは10月末です。なので、シーズンすべてで違和感があった状態でした。

――高校3年間を振り返って、一番うれしかったことは?

 やっぱり4継(4×100メートルリレー)の高校新記録が大きいと思います。

――日本選手権リレーの予選でマークした39秒57ですね。宮本選手は2走を務めました。

 高2のときに39秒93(U18日本記録)を出して以来、ずっと目標にしていたので。さらに、日本選手権リレーがそれを実現させる最後のチャンスだったので、すごい達成感がありましたね。桐生祥秀さん(洛南高→東洋大→日本生命)の代の記録(前高校記録39秒67、12年)を塗り替えたこともうれしかったです。

現在のトップ選手に「いつか追いつき、追い越したい」

宮本(右)はこの4月から東洋大に入学。現在トップで戦う選手たちと「いつか追いつき、追い越してやる」という気持ちを持って競技に臨む 【写真は共同】

――宮本選手は、自身の強みをどこだと思っていますか?

 走りということでは、スタートしてからの加速力でしょうか。同世代のなかでは、顔を上げてから一気に飛び出していけるので、それは強みかなと思います。

――逆に、改善していきたいところは?

 昨年の秋に国体や日本ジュニア(U20日本選手権)などで出した10秒2台のときは、前半にその飛び出しでスピードに乗れる半面、後半、そのスピードを体がコントロールできなくなっていました。そこで走りがぶれて、ふわふわするというか、泳ぐような走りになってしまうところですね。走っていても「気持ち悪いなあ」と感じていました。

――走りながら、気持ち悪いと?

 はい。毎回、「あ、また来た」と思っていました。10秒3台くらいのレースでは出ないのですが、(10秒)2台になると出てくるんです。10秒2台が出せるエンジンに対して、ボディーの部分がまだ仕上がっていないのだろうと思っています。

――じゃあ、好記録が出ても、「いい走りができた」という感じではないと?

 苦し紛れに出た記録というか、もっとよくなるはずなのに、という感じですね。

――考えようによっては、伸びしろが多いということですね。

 はい (笑)。

――春からは東洋大で競技を続けます。18年シーズンの目標は?

 まずは自己ベストを常に更新したいと思っています。10秒1台を出せるように頑張っていきたいです。また、学生の大会や全国の大会で、1年目からしっかり結果を残せるようにしたいですね。それからU20世界選手権がありますから、代表になって、世界ユースのリベンジができればと思います。

――今度は、決勝でしっかり戦いたいと?

 そうですね。世界ユースで悔しい思いをしたので、そこで感じたことを生かしたいです。

――自分の将来像は、どう描いていますか?

 レベルの高い、今のシニアのトップの選手たちと、勝負ができるようになりたいです。

――そういう自分は、具体的にイメージできていますか?

 昨年、日本選手権(予選4着、10秒39)を走ってみて、まだそのレベルに達していないと感じました。まずは少しでも追いつくことから始めていきたいです。ただ憧れていたのではダメで、ターゲットにして、「いつか追いつき、追い越してやる」という気持ちで挑まないと勝負の世界では通用しません。しっかりとそこを目指していきたいですね。

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