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東京2020 THE WAY to 2020

“福沢諭吉チック”なFW安藤瑞季
C大阪期待のルーキーが持つ反骨心

「あいついいじゃん! で、誰?」

年代別日本代表には、監督による一本釣りのような形で抜てきされた。最初は戸惑いも見せていたが、代表の空気感に慣れてくると評価も一変
年代別日本代表には、監督による一本釣りのような形で抜てきされた。最初は戸惑いも見せていたが、代表の空気感に慣れてくると評価も一変【写真:アフロ】

 長崎総合科学大付属高に進んでからの安藤の歩みはまさにシンデレラストーリーである。チームを束ねる名伯楽から「体も強いし、シュートもある。しかも両足」(小嶺監督)という個性を買われて1年生の終わりからFWの軸として起用されるようになると、一気に頭角を現した。


 小学校時代から得意としていたという体のぶつけ合いは単に生まれ持ったフィジカル能力の高さだけを意味するわけではない。「体の使い方を知っている」(C大阪スカウト)、自分の体を操作する能力に長けているがゆえの能力だ。身長175センチと決して大柄ではないのだが、欧州勢を向こうに回してもコンタクトプレーでまったくひけを取らなかった。


 最初に安藤を年代別日本代表に招いたのは2016年3月のサニックス杯国際ユース大会でU−17日本代表を率いていた森山佳郎監督(現U−16日本代表監督)。臨時編成の急造チームであり、森山監督もメイン業務は一個下の年代のチームだったので、選手選考から四苦八苦する中で直前の九州高校サッカー新人大会で得点王になっていた安藤の名前が浮上して呼んでみることになったという、安藤にとっても幸運な流れだった。「トレセンの指導者に好まれるタイプじゃない」(小嶺監督)ストライカーが、監督による一本釣りのような形で抜てきされたわけだ。


「最初は『この子、大丈夫かな』と思った」と森山監督が笑って振り返るように、トレーニングから戸惑う様子も見せていたが、代表の空気感に慣れてくると「こいつやりおるで」(同監督)と評価も一変。当時、視察に訪れていた日本サッカー協会のスタッフの一人は「あいついいじゃん! で、誰?」となっていたほどである。大分県の南東部で井の中の蛙扱いをされて埋もれかけていた逸材は、こうして日本の海で台頭を始め、その外側へと旅立っていく。

最後は強烈な親離れを経験して旅立つ

大学進学を勧めた小嶺忠敏監督(写真)に対し、安藤はあくまで自分の意志を貫きプロ入りを決めた
大学進学を勧めた小嶺忠敏監督(写真)に対し、安藤はあくまで自分の意志を貫きプロ入りを決めた【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 長崎総合科学大付属高や年代別日本代表での活躍を受けて多くのプロクラブが安藤に関心を示すようになったが、そこで安藤の前に立ちふさがったのは、大恩人でもある「小嶺先生」だ。「勉強のまるでできない子なら勧めないけれど、彼は勉強できるから」と大学進学を猛プッシュ。スカウトの中には「小嶺先生がいるから俺は行かないよ」と高校サッカー界の重鎮を前にして早々に手を引く者もいたのだが、「ウチは待ちますよ」と粘ったクラブも複数あった。


 安藤自身も「絶対に曲げません。プロに行きます」という姿勢を見せ続けて、怖さも十分の大監督と対峙(たいじ)する。ビビって何も言えなくなる選手も多い中で、たいした胆力だと周囲を感嘆させもした。ただ、小嶺監督の真意はプロ入り絶対反対ではなかったように思う。話を聞きながら透けて見えたのは「俺とぶつかって飛び出していくくらいの覚悟がないとプロではダメでしょう」という頑固親父ポジションである。実際、安藤は小嶺監督から大学進学のメリットやプロに行く厳しさをいかに説かれても意思を曲げず、「俺はプロに行きます」と言い続けた。そういう安藤の頑固に自分へ向かってくるスピリットを実は一番高く買っていたのは小嶺監督だったように思う。


 この流れなので安藤はプロ入りに際しても「絶対にプロで成功して見返したい!」と話している。このプロからオファーが来たことをゴールにして浮かれてしまうのではなく、「プロで成功して見返す」というところにゴールを設定させることこそ、小嶺監督が願っていたものだろう。長崎の“頑固親父”の下ですくすくと育ち、最後は強烈な親離れを経験して旅立っていったわけだ。


 今季から加入したC大阪ではAFCチャンピオンズリーグでトップデビューを果たし、早くもJ1リーグのピッチにも立った。高卒ルーキーとして見るなら順調な滑り出しだろう。ただ、常に飢えてきた安藤がここをゴールとはまったく思っていないはず。そもそも「順調」とも思っていないだろう。“福沢諭吉チック”なマインドを持って新天地へ飛び出し続けていく男が見据えているのは、もっと遠くであるはずだ。

川端暁彦
川端暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカー批評』『サッカーマガジンZONE』『月刊ローソンチケット』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。2014年3月に『Jの新人』(東邦出版)を刊行
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