畠山愛理がパラカヌー瀬立モニカに迫る 涙してもトレーニングに向かう、そのワケ

構成:宮崎恵理
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提供:東京都

「ちょうどいい緊張感」の難しさ

寝ている時でも演技のことを考えていたと話す畠山さん。リオでの秘話を明かしてくれた 【吉村もと】

畠山 新体操とカヌーではスポーツとして全く違うので、すごく新鮮です。リオデジャネイロパラリンピックで一番思い出に残ったことは何ですか?

瀬立 初めてのパラリンピックでしたが、自分の中では特別な感情はありませんでした。むしろ、緊張感がなく楽しんでいたというか。

畠山 それは強い! ちょうどいい緊張感って難しいですよね。私は2度目のオリンピックだったリオの方が緊張したんです。競技前日の夜、目をつぶると、もう頭の中で演技するときの曲が流れちゃう。本当はしっかり睡眠を取らなくちゃいけないのに、歯を食いしばってしまって、朝起きたら口の中が血まみれになっていました(笑)。試合会場に入っちゃえば緊張しませんでしたが。

瀬立 うわー、それはすごい。何か手に持っていると緊張がほぐれるという話を聞いた記憶があるのですが。

畠山 手に物を持っている、イコール手具を落としていない。だから手に用具を持つと少し安心するんです。手をグーにしているだけでも心が落ち着きました。

瀬立 私は、パラリンピックそのものは緊張しなかったんですが、出場権を得るための世界選手権の時はすっごい緊張していました。決勝の前夜、布団に入っても心臓がバクバクして掛け布団から鼓動が伝わってきちゃうんです。寝たいのに、全然眠れない。さすがにパドルは持って寝なかったですけど(笑)。

畠山 確かに出場権が懸かっている試合は緊張しますよね。新体操もたった1回のミスで順位が大きく変わります。なのでミスは許されませんでしたね。

瀬立 ミスしちゃいけないって、すごい緊張感ですね。

畠山 それが、リオで口の中が血まみれになった原因です。

ご褒美飯は「甘いもの」

体型の維持を求められる新体操だが、コーチによって食に対する要求はさまざまのようだ 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

瀬立 新体操では、お肉を食べていいんですか?

畠山 もちろん大丈夫です。

瀬立 同じ大学で新体操個人種目の選手が、一緒に焼き肉屋へ行った時に人生で2回目の焼き肉だって言っていました。

畠山 それはコーチによるんですね。日本のコーチはしっかり食べて燃焼する体を作りなさいと指導するんですけど、ロシア人のコーチは食べるイコール太る、と指導するので、それこそリンゴ1個しか食べられない生活を強いられたりします。成長期にご飯を食べない生活が続くと、疲労骨折が多くなる。ただ炭水化物だけは、取りすぎは太ると思い込んでいたので、1回に食べるご飯の量はきっちり100グラムまでと決めていました。

瀬立 なんか、今の話を聞くと申し訳ないような気持ちになる(笑)。ある程度体重がないと、強風で流されてしまうこともあるんです。だからカヌーを始めた頃よりも、12キロ体重は増やしました。

畠山 大事な筋量ですよね。

――食についても、競技によって苦労が違いますね。反対にご褒美飯みたいなものはありますか?

畠山 私はお肉が大好きで、絶対に焼き肉! 試合が終わった後とか、ロシア合宿から帰国した時などは必ずチームで焼き肉です。

瀬立 私も焼き肉です。「レースが終わって帰ってきたら焼き肉に行こう」と、行く前からいろんな人と予定を立てておきますね。あと、甘いものも大好き。

畠山 ああ、外せないなあ。

瀬立 和と洋、どっち派ですか? 私は、栗蒸しようかんが大好き過ぎて、いつもその話をしていたら、自分の名前が書かれた栗蒸しようかんをドドーンとプレゼントされたことがありました。

畠山 私は空港で売っている黄色い三角形のパッケージのチョコレートが大好きで、絶対に空港で買う。ひとかけらずつ毎日頑張ったご褒美に食べるんです。

東京へ向けて、リオが本当の出発点に

対談は笑いあり、女子トークありと大いに盛り上がった 【吉村もと】

――現役選手にとっては、苦しい練習と厳しい競技生活が続きます。その原動力は何ですか?

畠山 「新体操が好き」という気持ちが多分誰よりも強かったんだと思います。演技を見てもらうのがうれしくて。どんな苦しい練習でも乗り越える力になっていたかな。

瀬立 逆に「やめたい」と思ったことはあるんですか?

畠山 あります。私は中学の時にひどい腰痛があったんです。そのころ、コーチとの信頼関係がちょっとギクシャクしていて、練習に行ってもあまり見てもらえない。1年間ほぼ自主練の状態が続いて、その時は本当に苦しかった。

瀬立 それでも、中学3年の時にフェアリージャパンのオーディションに合格されているんですよね。

畠山 そのオーディションが最後のチャンスと思って臨んだんです。落ちたら、やめようって。だからオーディションは誰よりも積極的に受けました。好きだという気持ちを確認できたし、全部ぶつけましたね。

瀬立 そうだったんですね。私は、冬の平日朝6時から8時30分まで朝練をして、そのまま授業に行きます。大学では水上の練習ではなく、エルゴメーターという陸上でのトレーニングとウエートトレーニングをするんです。朝から心拍数マックスですよ。その練習のために宿舎を5時30分くらいに出ると、まだ真っ暗。トレーニング室で一人、きつい練習をしていて窓から夜空が見えると「何やってんだろ」とふと涙が出ちゃうこともあります。それでも毎日トレーニング室に行く。やっぱり目標があるから、なんですね。

畠山 まさに東京パラリンピックを目指して。

瀬立 地元の東京・江東区は2020年のカヌー会場なんです。

畠山 運命的ですね!

瀬立 リオに初めて出た時に表彰式を見て、絶対に地元で表彰式をみんなに見てほしいと、すごく大きなモチベーションになりました。リオまでも、自分としては一生懸命やってきたと思っていましたが、今振り返れば甘かったと思うんです。本当にアスリートとして目標に向かうとはどういうことか、他の競技の選手や、大学でオリンピックを目指している選手たちの姿を見て、自分の甘さをきちんと認識することができました。なので、東京に向かって道筋を考えられるようになりました。

畠山 リオが本当の出発点になったんですね。

――東京まで、あと2年。今取り組んでいることは何ですか?

瀬立 リオで圧倒的に練習量が足りないことを痛感したので、まずはキャンパス内でサポートしてくれる人を、自分から募って増やしました。そういう活動をしていたら、大学の寒い廊下に置いてあったエルゴメーターを温かい教室に移動して、そこを他の競技の選手と一緒に練習できるトレーニングルームとして整えてくれたんです。それで毎朝良い環境で練習ができるようになった。また、大学ではスポーツに関するさまざまなことが学べる。栄養学、心理学、スポーツ生理学などなど。そういう勉強が全て競技に生きるんですよね。自分から動いたら、先生や大学の友人が手を差し伸べてくれた。トレーニングのベースをすごく構築できた1年でした。

畠山 積極的に自分を高めようとするモニカさんの姿に、みんなが協力したくなるんでしょう。鳥肌が立っちゃいます。今日お話を聞いてカヌーの難しさも分かりましたし、ご自分で大変なことをどんどん乗り越えてこられたということも伝わってきました。きっと東京パラリンピックでは大きな感謝の気持ちを水上で表現してくれるのではないかな。応援しています!
■プロフィール
瀬立モニカ(せりゅう・もにか)
1997年、東京都出身。筑波大学2年。中学生の時に地元江東区で一般のカヌーを始める。高校1年の時に体育の授業中の事故で脊髄を損傷、車いす生活となる。高校2年でパラカヌーを開始。2015年の世界選手権で国際大会にデビューし、16年に初出場したリオデジャネイロパラリンピックでは200mスプリントで8位入賞。KL1クラス。

畠山愛理(はたけやま・あいり)
1994年、東京都出身。6歳で新体操を始め、中学3年の時に日本代表チーム「フェアリージャパン」のオーディションに合格。17歳でロンドンオリンピックの団体に出場、7位入賞。2015年の世界選手権では団体種目別リボンで銅メダル。16年のリオデジャネイロオリンピックでは団体8位入賞。その後現役を引退し、テレビなど各メディアで活躍中。

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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