“チャラい”では世界で残れない――東京五輪へ、模索続くサーフィン界の今
“サーファー”から“アスリート”に
そもそもサーフィンは、ファッションや音楽、ライフスタイルなどと結びつき、独自の発展を遂げてきた。いわゆる“スポ根”的な泥臭さとは対極の“おしゃれでクール”なイメージこそ、このスポーツの大きな魅力であり、多くの人たちに支持される要因でもある。翻って競技性の高さに注目が集まりづらい一因でもあっただろう。
スポーツとしての認知度向上は東京五輪に向けての鍵となる 【スポーツナビ】
実戦トレーニングの様子を見ていると、その言葉の意味をまざまざと思い知らされる。サーフィンでは、パワーのある波に繰り出されたリスキーな技が高得点となる。技術はもちろんのこと、フィジカルの強さ、そしてリスクを負って攻め続ける覚悟と度胸が必要だ。ベテラン選手も小さな体の小学生サーファーも、頭の高さまである大きな波に挑んでいく姿は、勇猛果敢そのもの。ストイックに取り組まなければ、とても戦えないスポーツだ。
酒井理事長は「カルチャーやファッションであったりはサーフィンのいいところなので、そういうところは残したい」と前置きした上で、こう訴える。
「みんな好青年でしょ? 本当に真剣に世界のトップになりたいと思ってサーフィンをしている人がほとんどですよ。選手もこれまでは、サーフィンのブランドからスポンサードされることがほとんどでしたが、今はそれでは世界を回れません。他の業界からのスポンサードを得ないといけない。そういう意味では、一昔前のサーファーみたいに、いい加減な、いわゆる“チャラい”感じの人たちは弾かれていって、この場には今いないんじゃないんでしょうか。残っていないと思います」
五輪かCTか……揺れる選手の思い
日本のエースに成長した21歳の大原洋人。地元・一宮町で開催される五輪への思いを笑顔で語ってくれた 【スポーツナビ】
「他のスポーツだと、そのスポーツを始めた時から五輪で金メダルを取るのが夢というのがあるけれど、サーフィンはそれがなかった。サーフィンで世界一というのは、自分的にはCTのチャンピオンかなという気持ちは今はまだあります。でも、五輪は4年に1回しかないし、日本人が(東京)五輪でいい結果を残したら日本中が注目することだし……CTのチャンピオンを取るのに近いくらい、大きい目標にはなるんじゃないかなと思います」
同じくプロツアーを持つ“横乗り系スポーツ”で、1998年の長野冬季五輪で初採用されたスノーボードは、4年に一度の戦いを続けていくうちに五輪競技として磨かれ、地位を確立させていった経緯がある。2020年大会後のサーフィンの実施は決まっていないが、まずは東京大会を成功させ、24年、28年とバトンをつないでいくことが重要になるだろう。そうして大会を重ねて初めて、サーフィンが五輪競技になったことの意味や価値が見いだされていくのではないか。
(取材・文:小野寺彩乃/スポーツナビ)