成田緑夢、大一番で働いた競技者の勘 金メダル獲得で「人の光になれれば」

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夢や感動、希望、勇気を与えられる存在に

「夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい」。それが成田の指針となっている 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 成田は06年トリノ五輪スノーボード代表の兄・童夢、姉・今井メロを持つ、いわゆる「成田3きょうだい」の末弟で、幼いころからスノーボードに親しんでいた。また、空中での姿勢や感覚を磨くため練習していたトランポリンでも、12年ロンドン五輪の最終選考に残った実績を持つ。

 挑戦する心をはっきりと抱いたのは、障がいを負ってからだ。

 13年4月、両足首に2.5キロずつの重りを付け、トランポリンで宙返りの練習をしていた際に、体勢を崩して落下。着地に失敗し、左ひざの前十字靭帯などを損傷し、動脈も切れる大けがを負った。脚の切断こそ免れたが、左足首は曲がらず、ひざから下の感覚を失う「腓骨神経まひ」という障がいが残った。

 その後、スキーやウェイクボードを再開する過程で「ケガをしても頑張っている姿に勇気をもらった」と障がいを持った人からメッセージをもらうことで、自分が進むべき道が明確になった。

「障がいを持っている人、ケガをして引退を迫られている人、一般の人に夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリートになりたい」

 この言葉が、今の成田のアスリートとしての指針になっている。

 16年からはパラスノーボードに取り組み始めた。いきなり国内大会で優勝すると、同年からワールドカップにも参戦。初出場となった11月のオランダ大会・バンクドスラロームで4位の好成績を残した。これで勢いを増した成田は、世界選手権の表彰台入り、世界ランキング1位奪取など短期間でトップクラスの選手に上り詰め、今回の平昌パラを迎えた。

 結果は上記でも紹介のとおり、金1個・銅1個で計2個のメダルを獲得。自ら望む「夢や感動、希望、勇気を与えられるアスリート」になったと言っても過言ではない。

世界に日本のスポーツを見せられた

表彰台の中央に立った成田は「世界に日本のスポーツを見せられた」と胸を張る 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 バンクドスラロームで金メダルに輝いた16日夜、成田はメダルセレモニーに出席した。先のスノーボードクロスでも銅メダルを取ったため、セレモニー出席は2回目だが、今回は表彰台の真ん中に立ち、国旗掲揚時に場内で『君が代』も流れる。

「日本代表としてパラリンピックに出場し、世界の舞台で日本の国旗を見せ、日本の国歌を流すことができた。日本のスポーツの一部として世界に見せられたんじゃないかと思います。すごくうれしいです。今まで味わったことがないような、新鮮でいい経験になりました」

 パラアスリートは大なり小なり何かしらの障がいを持ち、ハンディキャップを背負っている。成田も競技復帰が絶望的なところからはい上がり、今回金メダルを手にすることができた。

「夢みたいですよね。僕がケガをした時は、一番初めに左足切断、スポーツも何もかもできなくなる、歩ける確率も20パーセントと言われた。でも今、こうやってスノーボードをできていますし、パラリンピックで金メダルを取れたらこれほどうれしいことはない。過去にたくさんの人が医者から『もう歩けない、もうスポーツはできない』と言われていると思うけれど、『その言葉を絶対に聞かないで』という意味ではなく、たとえ言われたとしても『僕も言われたよ、でもパラリンピックで金メダルを取れたよ』という情報の共有だけでも、今その状況に立っている、ケガした人や交通事故に遭った人の光にはなれるんじゃないか。それが一番うれしいことですね」

 成田はこれからも人々の光となって、挑戦を続けていく。

(取材・文:加賀一輝/スポーツナビ)

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