90年代に黄金時代築いた「闘魂三銃士」 プロレスファンに語り継がれる3人の歴史

高木裕美

一大ムーブメントを巻き起こした

16日に開催される「プロレスリング・マスターズ」を前に、武藤敬司(左から2番目)ら一大ムーブメントを起こした「闘魂三銃士」を振り返る 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 武藤敬司がプロデュースする「プロレスリング・マスターズ」(2月16日、東京・後楽園ホール)のメインイベントで、蝶野正洋率いるTEAM2000が復活。天山広吉、ヒロ斎藤、AKIRA、X(出場予定であった小島聡が左膝前十字じん帯断裂により欠場のため、代替選手を調整中)の4人に蝶野が“総監督”としてセコンドに付き、武藤、藤波辰爾、長州力、獣神サンダー・ライガーというマスターズチームと対戦することが発表された。

 武藤、蝶野、そして故・橋本真也さんの3人は、かつて新日本プロレスで「闘魂三銃士」と呼ばれ、1990年代のプロレス界に一大ムーブメントを巻き起こした。同時期にライバル団体・全日本プロレスでも、故・三沢光晴さん、川田利明、小橋健太(建太)、田上明による「四天王」が活躍。この時代に両団体が交わることはなかったものの、ファンも選手も互いの存在を激しく意識し、「負けたくない」という思いを強めていったことで、90年代はプロレス熱がガンガンに燃えたぎっていた。

 現在の新日本マットは、“レインメーカー”オカダ・カズチカ、“制御不能男”内藤哲也、“100年に一人の逸材”棚橋弘至らの活躍で、若い女性ファンや、初めてプロレスを観た一般層からも支持を獲得。プロレス界のトップを独走し、かつての勢いを盛り返しつつあるが、現在30代、40代のプロレスファンにとっては、「闘魂三銃士時代に比べればまだまだ」「闘魂三銃士を知らずして、プロレスを語るなかれ」という思いは強いだろう。

 最初に、ごく簡単に3人の略歴を紹介すると、武藤は山梨県富士吉田市出身の55歳。「天才」「ナチュラル・ボーン・マスター」などと称され、“悪の化身”グレート・ムタとしても活躍。2002年に新日本を退団後、移籍した全日本プロレスの社長に就任し、13年からは全日本を退団して自らの団体「WRESTLE−1」を設立した。得意技はシャイニングウィザード、フラッシングエルボー。その甘いルックスと天才的なプロレスセンスで観る者をトリコにし、多くの若者にプロレスラーになるきっかけを生み出し、また、ファイトスタイルにも多大なる影響を与えた。棚橋は元付き人であり、内藤もかつて武藤に憧れていたことを公言している。

 蝶野は東京都出身(生まれはアメリカ)の54歳。「黒のカリスマ」と称され、10年に新日本を退団。現在はプロレス休業状態であるが、新日本の1.4東京ドーム大会や「G1 CLIMAX」などにはたびたびゲスト解説として登場している。得意技はSTF、ケンカキック。94年にヒール転向して以降、黒を基調としたコスチュームで人気を得て、現在はマルティナ夫人と共にオリジナルメンズブランド「ARISTRIST」を展開している。アントニオ猪木やフロント陣営にかみ付いたり、ベルトにスプレーで「nWo」と書き込むなど、タブーなく切り込む姿勢は熱狂的な支持を獲得し、ヒールでありながら本隊をしのぐ人気と影響を生み出した。

 橋本は岐阜県土岐市出身で、05年7月に40歳の若さで死去。もし生きていれば現在は52歳になる。00年4月に一度引退するも、同年10月に復帰。翌01年には新団体「プロレスリングZERO−ONE(現ZERO1)」を旗揚げ。だが、04年11月にフリーに転向し、右肩の手術・リハビリを行いながらリング復帰を目指していたが、翌05年7月11日、脳幹出血により亡くなった。得意技は袈裟斬りチョップ、キック、垂直落下式DDT。長男の大地は現在、大日本プロレスのBJWストロングヘビー級王者である。イタズラと下ネタが大好きな愛すべきキャラクターで、多くの先輩たちから愛され、後輩たちにトラウマを与える一方、リング上では「強さの象徴」であった。

 闘魂三銃士について書こうと思ったら、本1冊分のボリュームでも足りないぐらい、その功績と影響、記録と記憶は計り知れない。そこで、現在の新日本マットを象徴する「タイトル」「海外」「メディア」の3点に絞って、3人の活躍を振り返っていきたい(文中敬称略)。

IWGPの象徴・橋本、夏男・蝶野、ベルトコレクター・武藤

「ベルトコレクター」武藤。01年にはIWGP、三冠、世界タッグで6本のベルトを巻いたこともある 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 まずは「タイトル」。現在、新日本の至宝であるIWGPヘビー級王座は、オカダが9度にわたり防衛中(2月8日現在)。現在は棚橋が連続11度防衛で歴代1位となっているが、棚橋の前にV10を達成していたのが永田裕志、そして、その前に長らくV9で最多記録を保持していたのが橋本だった。橋本は最多通算防衛回数でも、棚橋(28回)に抜かれるまで、20回で長らく1位に君臨しており、IWGPの象徴的存在であった。特に、王冠のような形と黄金カラーが特徴的な2代目ベルトは、97年の第19代王者時代に橋本が初めて巻いたため、2代目=橋本のイメージが定着しており、橋本の死後、橋本家に寄贈された(現在のベルトは4代目)。

 また、昨年27回目を迎えた“真夏の祭典”「G1 CLIMAX」では、91年に開催された第1回大会の優勝者が蝶野、準優勝者が武藤であった。蝶野は前日に橋本、決勝戦で武藤を破っての優勝であり、このドラマに、興奮した観客は両国国技館の座布団を投げて祝福。ちなみに、前日の武藤vs.ビッグバン・ベイダー戦でも座布団が飛んだことから、以後、プロレスの興行では座布団が使用禁止となってしまった。現在でも、G1の歴史を紹介するVTRの中で座布団乱舞の光景が見られるが、まさに「プロレス遺産」と萌える、象徴的な場面であった。なお、蝶野は翌年も連覇をし、「夏男」の称号を得ると、その後も94年、02年、05年と5度にわたり優勝。この記録はいまだ破られていない。

 また、「ベルトコレクター」を自負する武藤は、01年に全日本の三冠ヘビー級(3本)、世界タッグ(2本)、新日本のIWGPタッグ(1本)を同時期に戴冠し、6本のベルトをすべて体に巻きつけて登場。見る者に多大なるインパクトを与えた。

 プロレスラーにとって、タイトルとは自分の強さの証明であり、自分というキャラクターを売り出すためのひとつの手段である。最近では、現在WWEに移籍した中邑真輔が、IWGPインターコンチネンタル王座(IC)のタイトルマッチを何度となく行い、自身の象徴的なベルトへと昇華させたように、「勝ち続ける」「失ってもなお挑み続ける」宿命を背負うのがエースである。IWGP戦線から後退し、IC王座も失った棚橋が、復帰後、どのタイトルに狙いを定めるのか。オカダは棚橋の持つIWGP記録をさらに塗り替え、真のIWGPの象徴となれるのか。ベルトをないがしろにし続けている内藤は、今後もベルトを巻かないのか。まだまだ、興味は尽きないところである。

蝶野は米国から「nWo」を日本に

米国のWCWから「nWo」を日本に持ち込み、一大ムーブメントを生み出した蝶野 【t.SAKUMA】

 続いて「海外」。まず、闘魂三銃士は海外で誕生したユニットである。3人はそもそも84年の同日に新日本に入門した間柄であり、船木誠勝、AKIRA(野上彰)も同期。3人は88年7月にプエルトリコで「闘魂三銃士」を結成すると、同年7.29有明コロシアムで凱旋マッチを行い、先輩チームに勝利して世代交代をアピール。91年の第1回G1で蝶野が優勝した際、3人でリングに上がって「1、2、3、ダァーッ!」で締めたことで、新世代の旗手に君臨した。

 海外遠征をきっかけに大きな転機を迎える事例は多いが、まずは、若手選手が海外で修行を積み、「衝撃的な凱旋帰国」で大変身を遂げるパターンだ。オカダは米国TNA遠征後、12年1.4東京ドーム大会で突如「レインメーカー」を名乗り、その翌月にはV11を達成していた棚橋からIWGP王座を奪取。また、高橋ヒロム、EVIL、SHO&YOHも、真面目だった好青年が皆、不良になって帰ってきたものの、即タイトルを獲得するなど、変身したことで大いなる成功を収めている。

 だが、失敗事例もあるわけで、その最たるものが、武藤が86年にアメリカ遠征から帰国した際の「スペース・ローンウルフ」というキャラクターであった。「ファイナル・カウントダウン」(現在はスウェーデン出身のLiLiCoが入場テーマ曲に使用)に乗り、ブルゾンを着て宇宙飛行士のヘルメットを抱えて登場するという、かなり奇抜なスタイルでアメリカンプロレスっぽさを体現したが、当時UWFと抗争中の新日本マットの中では見事に浮いてしまい、もはや「なかったこと」にするべく、再び海外遠征に出発。しかし、この2度目の遠征時に、「ザ・グレート・カブキの息子」というギミックでグレート・ムタに変身すると、今度は大ブレーク。アメリカでも人気を博し、日本でもさまざまなタイトルを獲得した。

 また、内藤率いる「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」は、メキシコCMLLの本家ユニット「ロス・インゴベルナブレス」に加入した内藤が、日本でユニットを結成したものだが、そういった動きの先駆けとなったのが、蝶野率いる「nWo JAPAN」であった。

 蝶野は87年の「ヤングライオン杯」で優勝し、ドイツ遠征に出発した際に、現地でマルティナ夫人と出会い、91年に結婚。元々帰国子女ではあったが、海外遠征が人生を大きく変えたといってもいい。96年に米国WCWに遠征したのをきっかけに、ハルク・ホーガンらが結成したユニット「nWo」に加入。その後、日本で「nWo JAPAN」を結成し、一大ムーブメントを引き起こした。nWoTシャツは97年度に約6億円の売り上げを記録。誇張ではなく、本当に街を歩いていれば普通にnWoTシャツを着た人とすれ違うほど、一般層にまでファッションアイテムとして浸透した。

 また、プロレス以外の分野とのメディアミックス戦略も行われており、プロ野球・横浜ベイスターズの三浦大輔選手と鈴木尚典選手が、98年の1.4東京ドーム大会で、nWo軍の選手と共に入場したりと、他のスポーツ界、芸能界も巻き込んで、大いに知名度を上げていった。また、98年には武藤と蝶野で「マルちゃんソース焼きそば Wソース」のCMにも出演。nWoTシャツならぬ、「マル焼Tシャツ」姿でお茶の間にアピールした。その後、nWo JAPANは、蝶野の負傷欠場中に武藤がボスの座を奪い、蝶野が新ユニット「TEAM2000」を結成したことで分裂。00年1.4東京ドームで両者による「黒の頂上決戦」が組まれ、武藤が蝶野に敗れて完全消滅している。

 なお、橋本も若手時代にカナダ・カルガリー遠征を体験しており、新日本の若手にとって、海外遠征は飛躍のための大きなステップとなっている。現在の新日本でも、若手が継続的に海外武者修行に出発しており、また、海外団体との交流も活発で、選手たちはオフの合間を縫って参戦するなど、異国の文化を吸収する機会が増えている。昨年からは米国へも本格進出するなど、新日本の興行を他国で開催することも多く、海外との接点を通じて、また新たなムーブメントが起こることもありそうだ。

Vシネ、特撮ドラマ出演も 今も続く三銃士の歴史

メディアへの露出も多い蝶野と武藤。現在、新日本の中心を担っている選手たちも、彼らほどの知名度を得ることが今後のプロレス界を盛り上げる起爆剤になるだろう 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 最後に「メディア」。今年、オカダが嵐の松本潤主演の人気ドラマ「99.9 −刑事専門弁護士−」に、前作に続き本人役で出演し話題となったが、闘魂三銃士の3人も、ドラマ、映画、バラエティー、CMなどに幅広く出演。俳優として、本人役や、ガラの悪いチンピラ、極道などの役柄で数々の作品に出演しており、プロレスを知らない一般層にも、その名前と顔は知られている。

 特に、蝶野は大みそ日恒例となった「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「笑ってはいけないシリーズ」で、07年から毎年、制裁ビンタの執行役として登場。月亭方正に強烈なビンタをぶちかましていることから、プロレスを知らない層には「得意技=ビンタ」と思われているそうで、蝶野自身も「どこに行ってもビンタのおじさんとしか思われていない」と、“本職”とは異なる評価に、不本意な思いは抱いている。

 さらに蝶野は番組MCやコメンテーターを務めるなど、知的な一面も見せているが、自身がメインMCを務める「バラいろダンディ」(TOKYO MX)では、記念すべき第1回放送が17年1月4日だったため、1.4東京ドーム大会の解説とバッティングし、主役がいきなり遅刻で欠席するという前代未聞の珍事を起こしている。

 また、武藤は若手時代の87年に映画「光る女」で主演を務め、秋吉満ちる、安田成美ら有名女優らと共演。その後もVシネマなどで準主役級の大役を務めている。当初、主演には前田日明が候補として挙がっていたが、「セーラー服と機関銃」などを手がけた相米慎二監督が実際に新日本の大会を観戦した際、武藤を気に入ってしまい、主演に抜てきされた。

 今年は棚橋も映画に初主演し、木村佳乃、寺田心ら豪華キャストと共演。「パパはわるものチャンピオン」のタイトルで、9月に公開予定だ。普段は絶対的エースである棚橋がヒールを演じることで、新たなファン層を開拓しそうだ。

 また、棚橋は大の平成ライダーファンとして、「アメトーーク!」の「仮面ライダー芸人」にも毎回出演。16年公開の映画「仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー」にロボルバグスターに変身する敵役で出演し、今をときめくあの竹内涼真に、自身の得意技であるスリングブレイドを仕掛けている。

 かつて、前田日明が幼少時代に「ウルトラマン」の最終回を観て、ウルトラマンを倒した宇宙恐竜ゼットンに仇を討つべく、格闘技を習い始めたというエピソードがあるように、特撮マニアのプロレスラーはかなり多い。橋本も、大のウルトラマンファンであったことから、99年放送の「ウルトラマンガイア」に本人役で出演。新日本の道場でロケが行われ、柴田勝頼ら当時の若手選手たちも多数出演した。

 また、15年にはコンビニエンスストア「サークルKサンクス」と新日本がコラボレーションし、選手監修の弁当やスイーツを販売。棚橋監修の「100年に1人の逸材弁当」や、オカダ監修の「カネのおにぎり」(牛肉入りカレー)などがラインアップされたが、その約13年前に、サンクスは橋本プロデュースの「破壊王弁当」を発売し、記録的な大ヒットに。揚げ物てんこもりなど、超高カロリーでボリュームたっぷりな弁当は、ガテン系男子のハートも胃袋もわしづかみにした。

 現在、上昇気流に乗り続けている新日本マットだが、さらにファン層を拡大するためには、まったくプロレスを知らない人たちにも、知名度を上げていくことが必要不可欠。オカダが「カードファイト!! ヴァンガード」のCMで、世界的人気女優ミラ・ジョヴォヴィッチと対決したり、棚橋がクイズ番組で知的な一面を披露することで、「誰だか知らないけど、ちょっっとカッコいい」「よく分からないけど、プロレスってすごいのかな」と興味を持ってもらえれば、さらに観客動員数も上がっていくだろう。

 闘魂三銃士が2000年代初頭に新日本のトップ戦線から退いたのと時同じくして、新日本マットは「冬の時代」に突入。同時期に全日本も分裂騒動が発生し、四天王が袂を分かったことは、運命のいたずらであろうか。それぞれの進む道は分かれても、同期としての深い絆で強く結ばれていた闘魂三銃士であったが、橋本の死去により、もう3人がそろい踏みを果たすことは不可能となってしまった。07年1.4東京ドーム大会では、武藤と蝶野が8年ぶりにタッグを結成して、天山広吉&小島聡組に勝利。試合後、2人は橋本のトレードマークである白い鉢巻を締め、橋本の写真の前でポーズを取って“集結”。また、11年3.6ZERO1両国国技館大会では、橋本の長男・大地のデビュー戦の相手を蝶野が務め、武藤も解説席から見守ると、次戦では武藤が対戦相手となり、蝶野が解説を担当するなど、「3人」の物語はまだまだ続いている。

 最近プロレスを観始めた人たちにも、闘魂三銃士のことをもっともっと知ってほしいし、逆に、闘魂三銃士に熱狂し、今はプロレスから離れてしまった人たちも、もう一度、今の熱いプロレス界を観てほしい。そして、オカダ、内藤らがこれから紡いでいく新たなストーリーも、多くの人々の記憶に残り、語り継がれてほしいものである。
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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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