帰ってきた“次世代エース”山本草太 全日本フィギュアで刻んだ復活への第一歩

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山本の支えとなっていたのは?

演技後の山本をスタンディングオベーションが迎えた 【坂本清】

 2度の骨折に3度の手術を経て、復帰したのは今年9月末の中部選手権。しかし、SPもフリーもジャンプはすべて1回転だった。ケガをする前、「ジャンプに関して自分は天才だと思う」と言っていた山本からしてみれば、跳べない自身に対してもどかしい気持ちもあったことだろう。11月の西日本選手権では3回転ジャンプを跳び、5位で2年ぶりとなる全日本選手権への出場権を獲得した。

 20日の公式練習後、山本が口にしていたのは「とにかく試合を楽しみたい、そして支えてくれた人への感謝を示したい」ということだった。ケガをして氷上から離れている間、仲間たちやコーチは「調子はどう?」と常に自分を気遣ってくれた。「それが支えになっていました」と山本は振り返る。

 その恩に報いるためにも、全日本選手権で皆を喜ばせる演技を見せたい。それにはやはりジャンプが必要だった。山本は構成を変えるに至った経緯をこう語る。

「3回転+3回転を降りることができるようなったのは、こっち(東京)に来てからです。頑張ろうとして何回か挑戦していたんですけど、全然挑めなかったり、転んだりしていたので、とにかく跳びたいと思ったし、朝の練習で跳べたのでしっかり入れようと思いました。ループは名古屋での練習ですでに降りていたので、サルコウと迷いましたが、せっかくの舞台。元から跳べるジャンプですし、(基礎点の高い)ループをやろうと思いました」

 その一方で、山本は「ジャンプに対する恐怖心は今でもある」という。これを克服していくには、今後も練習と試合を積み重ねていくしかない。

コメントからのぞかせるプライド

 2年前、山本の目標は「平昌五輪に出場すること」だった。すでにジュニア時代に4回転トウループやトリプルアクセルを成功させており、ケガなく順調に成長していれば今大会で出場権を争っていたかもしれない。全日本選手権に出場できるまでに回復したことはもちろんうれしいだろうが、かつての自分を取り戻せていない悔しさも胸に秘めているのではないか。SP後のコメントにも、ここかしこでプライドをのぞかせている。

「昔は簡単に跳べていたジャンプなので、このジャンプで失敗したら恥ずかしいなと自分に言い聞かせてやりました」

「もっと自分ならできると思うので、これで満足せずに、無理はせずに挑戦をしていきたいと思います」

 平昌五輪という以前の目標は達成できずとも、山本はまだ17歳の高校3年生。22年の北京五輪時でさえ22歳だ。チャンスは残されている。逆に苦難を乗り越えたことで、スケーターとしての“深み”も増していくことだろう。それは今大会でも随所に感じられた。

「SPはすごく楽しく滑れたので、フリーも最後まで楽しく自分がやりたいことを全力でやりたいと思います」

 そう語る山本の目は、すでに次の演技に向けられていた。そしてその積み重ねが4年後へとつながっていく。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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