波瀾万丈のある野球選手の半生 夢に向けて日韓を渡り歩いた荒木治丞

室井昌也

韓国プロ野球で一世一代の大仕事

韓国プロ野球・LGツインズ時代にはゲーム終盤の守備固めや代走で活躍した荒木(写真左) 【写真提供:LGツインズ】

 あきらめたプロ野球選手の夢。ところが荒木に予想外の展開が待ち受けていた。荒木の足首の手術歴が兵役免除の対象となり、兵役に行くはずだった約2年間が自分の時間になったのだ。そこで荒木は再びプロ入りへと動き出した。済州島の友人の助けを借りて練習を再開。そして独立球団の高陽(コヤン)ワンダーズを経て、2013年、育成選手としてLGツインズに入団した。そして翌14年には正式登録され1軍でプレーする選手となった。29歳での夢への到達だった。

 荒木のLGでの持ち場は主にゲーム終盤の守備固めや代走。いわば脇役だ。その荒木が今年7月26日のネクセンヒーローズ戦で一世一代の大仕事を成し遂げた。

 2対3でLGが1点を追う9回裏2死。二塁走者の代走として出場の荒木は、後続打者のライト前ヒットで三塁を蹴ってホームへと向かった。しかしライトの李政厚(イ・ジョンフ)の送球はワンバウンドで捕手のミットへ。荒木は捕手が待ち構えるホームに滑り込んだ。

 球審の判定はアウト。笑顔でハイタッチを交わすネクセンナイン。ところが荒木はすぐさまベンチにビデオ判定を要求した。すると映像には荒木がホームベース手前で滑り込んだ右足にブレーキをかけ、捕手の左脇腹へのタッチを上半身を曲げながら避け、左手でベースをタッチする姿が映し出されていた。判定は覆りセーフに。ゲームセットから一転、土壇場で3対3の同点となった。試合はLGがこの回に1点を追加しサヨナラ勝ち。荒木の好走塁がチームを劇的な勝利へと導いた。

「悔いはない」5年間のプロ生活

文中に出てくる好走塁のシーン。キャッチャーのタッチをかいくぐり、ホームにタッチし、同点へ。チームを勝利に導く一世一代のプレーだった 【写真提供:LGツインズ】

 母国を離れ、ケガと向き合いながら過ごした日本での11年。そして28歳でようやく果たしたプロ入り。その経歴だけを見ると荒木には「苦労人」という言葉が似合う。しかし荒木には悲壮感漂うような姿はない。元同僚の城下コーチは「お調子者でカッコつけ」と荒木を評する。

 7月下旬、荒木は好走塁に加え、好守でも注目されスタメン出場の機会を得るようになった。これを機にレギュラーに近づくかに見えたが、荒木は8月3日から自身初という3試合連続エラーをしてしまう。「自分をもっと良く見せようとしたらそれが逆効果になってしまって」とミスを振り返った荒木。「必死さとチャラさ」。一見相反するようなこの2つ。それが荒木治丞っぽさでもあった。

「シーズンの初めころから考えていて、夏頃に今年で辞めようと決めました。一番の理由は家族です」

 昨年結婚した荒木は京都で暮らす妻の実家の家業を継ぐことを理由に、自ら球団に現役引退を申し出た。これまでの波瀾万丈の野球人生から一転、安定した家庭生活を求めたのだった。

 荒木の通算成績は5年間で154試合、打率2割4分9厘、本塁打0本。荒木は現役生活を振り返り「やり切ったので悔いはない」と話す。

 遠回りの末、ようやく夢をつかむも、潔くユニフォームを脱いだ荒木。その荒木に「もし息子が生まれてプロ野球選手になりたいと言ったら?」と尋ねた。すると荒木は関西弁交じりにこう答えた。

「それが自分の夢なら応援します。でもキツいでー」

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著者プロフィール

1972年東京生まれ。「韓国プロ野球の伝え手」として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。また編著書『沖縄の路線バス おでかけガイドブック』は2023年4月に「第9回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞」を受賞した。ストライク・ゾーン代表。

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