波瀾万丈のある野球選手の半生 夢に向けて日韓を渡り歩いた荒木治丞
韓国では5人しか存在しない姓
今年、5年にわたる韓国プロ野球生活での幕を閉じた荒木治丞 【ストライク・ゾーン】
荒木治丞、32歳――。
その名字は「あらき」ではなく「ファンモク」、名前は「チスン」と読む。韓国統計庁のデータベース(2015年調べ)によれば荒木は韓国に5人しかいない珍しい姓だ。
荒木という名字、それは日本に由来する。荒木治丞の祖父は荒木(あらき)姓の日本人。祖父は韓国人女性と結婚し、韓国・済州島(チェジュド)に移り住んだ。祖父は韓国で自身の姓を韓国語読みしたファンモク姓を名乗り、その名字を自身の息子、そして孫の治丞も受け継いで現在に至っている。荒木治丞はいわゆるクオーターだ。
荒木治丞と日本との縁。それは祖父との関係だけではない。韓国でプロ野球選手になるまでに日本のアマ球界で過ごした11年があった。
日本のプロ野球を夢見て野球留学
荒木をセガサミーにスカウトした撰田篤副部長はこう振り返る。「最初に(荒木)治丞を見たのは大学1年の時、シートノックを見て肩の強いショートだと思いました。チームではどん欲に練習に取り組んでいて、ケガをしても痛いと言わず、すぐ復帰する強いメンタルを持っていました」。
また当時のチームメイト、セガサミーの城下尚也コーチは「治丞は松井稼頭央選手(埼玉西武)に憧れていましたね。足が速くプレースタイルも似ていました」と話す。身長173センチ体重68キロ。細身の体でバネのある動きが特徴だった。
祖父の故郷とはいえ、自身にとって異国の地でプロを目指した荒木。しかし彼にはケガがつきまとった。大学時代は左ひざのじん帯2カ所を切り、多くの時間を術後のリハビリに費やした。また社会人でも左足首を手術。4年間のセガサミー在籍の末、荒木は26歳の時、ある決断をする。
「韓国に帰って兵役義務を果たそう」